中島敦短歌拾遺(4) 昭和12(1937)年手帳歌稿草稿群より(10) 「危険がアブナい」歌
いつはりと吾は知れりけり吾が知るを知りていつはるをみなにくしも
[やぶちゃん注:別案として、
いつはりと吾は知れりけり吾が知るを知りていつはるをみな淋しも
が提示されている。これ以降もまた、すこぶる「危険がアブナい」歌群と思う。]
人の世のひたむき心哂ふとふをみなにくしもくちうすくして
[やぶちゃん注:「哂ふ」は「わらふ」。]
思ひ詰めし戀ならなくに秋の夜は何か寂しもいく日あはずて
[やぶちゃん注:別案として、
思ひ詰めし戀ならなくに秋の夜は何か寂しも別れ來ぬれば
が提示されている。]
あふもうしあはぬもうたてしかすがにあきの夕はあはむとぞ思ふ
[やぶちゃん注:以下、三箇所の別案が示されているが、「うし」→「よし」と「うたて」→「よかれ」は組と考えて復元しておく。
あふもうしあはぬもうたてしかすがにあきの夕は如何にとぞ思ふ
あふもよしあはぬもよかれしかすがにあきの夕はあはむとぞ思ふ
あふもよしあはぬもよかれしかすがにあきの夕は如何にとぞ思ふ
「しかすがに」然すがに。既注済み。そうはいうものの。]
朝曇心しらじら思ふこと別れむ時にはやもなりしか
[やぶちゃん注:「しらじら」の後半は底本では踊り字「〲」。別案として、
朝曇心さみしく思ふこと別れむ時にはやもなりしか
が提示されている。]
よりそへど心かたみに通はずよはや別れむとおもひなりぬる
わかれむと心さだめて踵高の鋪道ふむ音さみしらにきく
[やぶちゃん注:「踵高」ハイヒールの意であろうが読み不明。「しようたか(しょうたか)」か?]
天鷲絨の上衣の胸の膨らみをじつと見てをり何かひえびえ
[やぶちゃん注:「ひえびえ」の後半は底本では踊り字「〲」。]
いにしへはこひに死なむといひけらし末世の戀のなどあさましき
[やぶちゃん注:別案として、
いにしへはこひて死なむといひけらし末世の戀のなどあさましき
が提示されている。]
いにしへは人をこほしく死にけらし末世の戀のなどあさましき
[やぶちゃん注:前の一首の別稿と思われる。]
公園をいでゝ鋪道のすゞかけの下に別れぬ知らぬ人のごと
[やぶちゃん注:別案として、
公園をいでゝ鋪道のすゞかけの下に別れし知らぬ人のごと
が提示されている。]
別れきてひたに大空仰ぎけり空はうれしも見れど飽かなく
朝ぐもり掘割のへにシュニッツラァのアナトオルなど想ひけるかな
[やぶちゃん注:「シュニッツラァのアナトオル」七つの一幕物からなる戯曲。新妻のいる色男の青年アナトールを狂言役にその場限りの享楽的刹那的な恋愛に身を任す若者たちが描かれる、妖婦や密会がアイテムの芝居。]
七段目のおかるならねどこの道のまことそらごとけじめ知らずも
[やぶちゃん注:「七段目のおかる」「仮名手本忠臣蔵」で塩冶家家臣早野勘平は主君刃傷の日に恋仲の腰元お軽と逢引していたために失態を演じ、おかるの実家に身を寄せていたものの、誤っておかるの父を殺し、結局、切腹する(六段目)。七段目はその後の景で、傷心のおかるは由良助に呼ばれて京都祇園一力茶屋の遊女となっており、芝居を演じている由良助に身受けされることになっている。そこで佞臣九太夫の間諜による仇討ちの露見未遂の一件が演じられ、仇討ちに加わりたい一心から実兄平右衛門の覚悟の切かけを受け、納得づくで自害しかけるが、由良助の計らいで九死に一生を得、亡父亡夫の追善に生きるという設定になっている。おかるの作品内の人格や設定というより、七段目の芝居自体の展開部の内容が「まことそらごと」の「けじめ知らず」の構成ではある。]
あによりもあをなつかしとたまもなすよりにしこゝろかなしとおもふ
[やぶちゃん注:この一首、何か、驚天動地の新しい事実を我々に伝えているのかも知れない。]