葱買て枯木の中を歸りけり 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
葱買て枯木の中を歸りけり
枯木の中を通りながら、郊外の家へ歸つて行く人。そこには葱の煮える生活がある。貧苦、借金、女房、子供、小さな借家。冬空に凍える壁、洋燈、寂しい人生。しかしまた何といふ沁々とした人生だらう。古く、懷かしく、物の臭ひの染みこんだ家。赤い火の燃える爐邊。臺所に働く妻。父の歸りを待つ子供。そして葱の煮える生活!
この句の語る一つの詩情は、こうした人間生活の「侘び」を高調して居る。それは人生を悲しく寂しみながら、同時にまた懷かしく愛して居るのである。芭蕉の俳句にも「侘び」がある。だが蕪村のポエジイするものは、一層人間生活の中に直接實感した侘びであり、特にこの句の如きはその代表的な名句である。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「冬の部」より。]
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