中島敦短歌拾遺(5) 「南洋日記」(昭和16(1941)年9月10日―昭和17(1942)年2月21日)より(1)
[やぶちゃん注:以下は、中島敦の残存する唯一の日記(手帳類を正式な日記と見ずに。尚、其の他の日記は焼却されたものと推定されている)である、自昭和十六(一九四一)年九月十日至昭和十七年二月二十一日の「南洋の日記」(全集編者による呼称と思しく、本文にはただ「日記」とある)に載る和歌を採録した。なお、この日記は昭和十六年六月二十八日附で、当時日本の委任統治領であった南洋群島(内南洋)の施政機関支庁でパラオ諸島のコロール島にあった南洋庁(大正一一(一九二二)年に開設され太平洋戦争敗戦時に事実上消滅)に教科書編集掛(国語編集書記三級)として同庁内務部地方課勤務となってからのものである(現地到着は七月六日。因みに南洋庁は文部省の所属ではなく、当時、外地と呼称された日本の植民地の統治事務・監督・海外移民事務を担当した拓務省の監督下にあった)。この日記には全集で四十ページ(二段組)に及ぶもので、「人魚の炙肉をくふ」(ジュゴンの肉か)など、頗る興味深い内容が含まれる。近い将来、電子化を目指したい。]
蠍座ゆ銀が流るるひと所黑き影あり椰子の葉の影
さやさやに椰子の葉影のさやぎゐて遠白きかもあめの河原は (七月)
[やぶちゃん注:以上二首は、同日記巻首にある。]