耳嚢 巻之七 蚊遣香奇法の事
蚊遣香奇法の事
檜挽粉(ひのきひきこ) 三升 樟腦(しやうなう) 壹匁
雄黄 壹匁 黄綠 壹匁
是は外(ほか)挽粉を用ゆるも有(あり)、或は蓬□を用(もちふ)。右合藥(あはせぐすり)して袋に入用(いれもちふ)るに、蚊を去(さる)事妙也。
□やぶちゃん注
○前項連関:三つ前の「齒の痛口中のくづれたる奇法の事」に続く民間薬方シリーズ。注意したいのは、これは燃やすのではなく、袋に詰めて持ち歩く(若しくは置く)タイプの蚊遣りである点である。揮発成分に効果がある訳で、ナウいじゃん!
・「檜挽粉」檜を製材した際に出る細かな粉のこと。
・「三升」五・四リットル。
・「壹匁」。一匁は一貫の千分の一で、約三・七五グラム。
・「雄黄」天然産砒素の硫化物。化学成分As2S3の鉱物で樹脂状の光沢がある黄色の半透明の結晶。染料・火薬などに用いる。有毒。但し、「世界大百科事典」によれば、化学でいう雄黄(orpiment)という和名は、本来は同物質を一緒に産することが多い鶏冠石の別称であって、化学物質としての“orpiment”に対しては「雌黄(しおう)」又は「石黄(せきおう)」の名称を使用するのが望ましいとされている、とあり、蠟燭で加熱すると容易に溶解し、『強いニンニク臭を発する』ともある。
・「黄綠」これは岩波のカリフォルニア大学バークレー校版によって「薰綠(くんろく)」の誤りであることが判明する。薫緑とは薫陸(くんろく)で、一般にはインド・イランなどに産する樹脂(やに)が固まって石のように固くなったものを指し、香料・薬剤とする。薫陸石。但し、本書の場合は江戸時代であるから、たかが蚊取り線香にこれを調剤するというのは考えにくいから、これは本邦産の松や杉の樹脂が地中に埋もれて化石様に化したものを指していよう。琥珀に似ており、前者同様に香料とする。岩手県久慈市から産出し、「和の薫陸」と呼称された。
・「蓬□」底本では右に『(苅)カ』とするが、蓬苅という名詞はない。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではここ(以下に示す部分のみ)は割注になっていて、
是(これ)は外(ほか)挽粉を用るもあり、或は蓬(よもぎ)を用
とのみある。□は衍字かとも思われる。
・「合藥」一応、岩波版の長谷川氏のルビに従ったが、「かふやく(こうやく)/がふやく(ごうやく)」でもよいようには思われる。
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