白い鳥の影を追うて 大手拓次
白い鳥の影を追うて
わたしの感覺の窓がすつかりととぢられてしまふ。さうして、ばうばくとしたひとつの羽音がきこえる。その羽音は香料をふくみ、音樂をわきたたせ、舞踊をはしらせるのである。わたしはしづんでゆく、しづんでゆく、かぎりない地軸のなかへ、黄金の針のやうにきりきりきりきりとしづんでゆく。なほ、わたしはおそろしい靜かさと激動との追迫によつて、さらにはてしない混沌のなかへしづんでゆく。もはや、わたしの身のほとりには、四季の幻影は咲きこぼれ、意慾の發端は八面の舌をもやし淸麗な神體はそよかぜのやうにやはらかくそよいでゐる。
わたしは噴水をのぞみながら、しばられた孤獨のわなにかけられて、ふかくふかく世紀をながれゆく驅橋(かけはし)をわたり、破滅のうへにれいろうとした芽(め)をふく墓標をいだくのである。
水晶色(すゐしやういろ)の感情はなげられた母體(ぼたい)の腹(はら)をさいてさけびをあげ、蛇をよみがへらせ、蛙をまねき、犬をいつくしみ、なめくぢを吸ひ、馬をそだて、狼と接吻するのである。
月のあかりのほのかにさすやうに、たえまなくしづんでゆくわたしの身に、いつとはなしにささめ雪ふりしきり、たそがれの風みだれ、海原の波舞(なみま)ひあがり、曠野(くわうや)のくさむらにゆく白狐(しろぎつね)のあしおとがきこえる。
太古の銅盤(どうばん)のさざらさざらとひしめく騷音(さうおん)のかなたに、水邊(すゐへん)の蘆(あし)のやうにあでやかにしなづくり、ほのめく微音(びおん)の化粧(けしやう)してとびゆくもの。はツとしてみれば、わかき一羽(は)の白鳩(しらばと)である。幻影は洪水のやうにあふれてきはまりなく、鳩のゆくへに追ひせまるのである。鳩はすずしくまひあがり、かろくめぐり、いなづまの爪のやうに消えさる。鳩は白い尾のかげをのこし、うすあかい指のかげをのこし、みづのながれをひきおこし、ふしぎにも傳統のゆめのそびらをたたいて靑空へかけり、あたらしい癡人(ちじん)の手をみちびくのである。
このとき、わたしの足は薔薇の噴水となり、わたしの肌は薰香(くんかう)にむせぶ眞珠のたまとなる。
[やぶちゃん注:太字「さざらさざら」は底本では傍点「ヽ」。]