陽炎や名も知らぬ蟲の白き飛ぶ 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
陽炎(かげろふ)や名も知らぬ蟲の白き飛ぶ
この句の情操には、或る何かの渇情に似たところの、ロマンチツクの詩情がある。「名も知らぬ蟲」といふ言葉「白き」といふ言葉の中に、それが現はれてゐるのである。某氏初期の新體詩に
若草萌ゆる春の野に
さまよひ來れば陽炎や
名も知らぬ蟲の飛ぶを見て
ひとり愁ひに沈むかな
と言ふのがある。西詩に多く見るところの、かうした「白愁」といふやうな詩情を、遠く江戸時代の俳人蕪村が持つてゐたといふことは、實に珍しく不思議である。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。引用される「某氏初期の新體詩」とする「某氏」は不詳。北原白秋の詩風にも見えるが(後評に「白愁」とするのはそれを疑わせる。但し、管見する限りでは――底本全集の引用詩文異同一覧にも載らない――白秋の詩にはないようだ)、案外、萩原朔太郎自身のものだったりして。識者の御教授を乞うものである。]