帽子の谷 大手拓次
帽子の谷
固く四角の黑の大理石で作つた柩のやうに緘默を守つてる街のなかを、一本足の靑灰色の帽子をかぶつた男が歩いて居る。暗黄色と漆黑との煉つたやうに交つてる珊瑚珠の太い杖をついて、右の足には草の乾いた褐色の大きい赤靴をはめて、敷石の上をむささびの羽のやうにぱつぱつと抱へては動いてる。そのあとから黑い沈んだ僧服をきた男がゆく。墓標の陰からのぼる淡黄の息のやうに太陽は、なめらかな調子の好い女唄うたひの横腹をたたく。
殘虐は街の森林に住むリスだ。敏捷にかけめぐつてその眼のなかにある靑い觸角に生々しくふるへる欺瞞を誇示する。此の栗鼠(りす)は、流星のやうに大河の底に飛翔(ひしやう)する勞れた魂を追ひすがつては乳色の齒をたてる。街の森林は漠々とおびえて、ますます固凍した柩の姿にあらはれる。
黄金の卵をつらねて作つた頸飾りをかけて、女體の妖精が、此の吐息する闇の宮殿に一群の異形をおくつた。
靑灰色の帽子と黑い僧服とは、ある廣い橋の上でお互ひに面を合せた。二人は知つた仲であつた。かろく手を握つて微笑をとりかはせた。二人の頭の上に小さい暗い鳥がキイと妙に鳴いてとんだ。河の水はゆるく濁つて流れてゐる。
[やぶちゃん注:これはもうマグリット(René François Ghislain Magritte 一八九八年~一九六七年)と共時的に(大手拓次の生没年は明治二〇(一八八七)年~昭和九(一九三四)年)にマグリットである(マグリットの最初のシュールレアリスム的作品は一九二六年作の“Le Jockey perdu”(迷える騎手)とされる。]
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