秋もはやばらつく雨に月の形 芭蕉
本日二〇一三年十月二十二日
陰暦二〇一三年九月 十九日
其柳亭
秋もはやばらつく雨に月の形(なり)
昨日からちよつちよつと秋も時雨かな
昨日からちよつちよつと秋もしぐれけり
[やぶちゃん注::元禄七(一六九四)年、芭蕉五十一歳。同年九月十九日の作。第一句及び第二句ともに「笈日記」に、第三句は「六行會」に所載するもの。第二句目についてのみ「ちよつちよつ」の後半は底本では踊り字「〱」。
同年五月十一日に江戸を立って郷里伊賀上野へ二十八日まで滞在した後、膳所の菅沼曲水宅、嵯峨野落柿舎(ここに滞在中の六月八日に同月二日(推定)に芭蕉庵での寿貞逝去の報に接する)や京辺を巡り、七月に伊賀へ帰る。九月八日に出立して大阪へ向かうが、体力の衰え著しく、到着翌日の十日から本句を詠んだ翌二十日頃までは連日夕刻になると発熱・悪寒・頭痛に苦しめられた。
「其柳」は「きりう(きりゅう)」で、大阪の門人。本句はこの日彼の屋敷で行われた八吟歌仙(八人で歌仙三十六句を連ねること)夜会興行の発句であった(芭蕉・其柳・支考・洒堂・游刀・素牛・車庸・之道)。
「笈日記」に第一句につき(踊り字は正字化した)、
此句の先、〽昨日からちよつちよつと秋も時雨かな、といふ句なりけるに、いかにもおもハれけむ、月の形にはなしかへ申されし
と附記されてある。
芭蕉の逝去は同年十月十二日――もうあまり、彼の時間は残されていなかった。]