日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 6 自然そのままの素朴な器物――そして土産物論
街路に立ち並ぶ小さな店には土地の土産(みやげ)物があったが、どれを見ても付近の森で集めた材料から出来ていた。木質のきのこ(polyporus)をくりぬいて、内側に漆を塗った盃、虫の喰った木の小枝でつくった野趣に富んだ燭台、立木のいぼをくりぬいた鉢、内側に花を刻んだ美しい木の小皿、その他樹身や樹皮でつくった多くの珍しい品がそれである(図67)。
[やぶちゃん注:「木質のきのこ(polyporus)」原文“woody fungus (Polyporus)”菌界担子菌門真正担子菌綱多孔菌目サルノコシカケ科タマチョレイタケ属 Polyporus。傘は円形で、饅頭型から扁平、漏斗型へと変化し、傘の表面が鱗のように逆立つものが多い。半円形を欠くものも見られる。多孔菌全般に言えることであるが、裏面に孔が沢山開いている。腐生菌であることが多い。一方で稀に生きたままの木に成長することもある。広葉樹に生えることが多い。若い菌は食用にすることもある。生えてから時間がたったものは硬くなる傾向にある、とウィキの「タマチョレイタケ属」にある。サルノコシカケ科
Polypore には非常に堅い木質様の子実体を作るものがあり、モースが言うような盃に加工出来るものもあるように思われる。]
日本で名所として知られている多くの場所の土産物は、必ずそれ等の土地に密接した所から蒐集した材料でつくられる。我国に於ては、ナイアガラ瀑布、バー・ハーバアその他で、何千マイルも遠くから運んで来た、従ってその場所と全く無関係な品物が、土産物として売られる。事実、私はバー・ハーバアで、日本から持って来た土産物を見たが、店の者はそれを海岸で採集したのだといい、ナイアガラ瀑布では英国のライアスからの菊石を、滝のすぐ近くの岩石から掘り出した化石だといって売っている。
[やぶちゃん注:ここでモースが賞賛している事実は遠い昔のこととなった。今や、日本の多くの土産物もモースが歎いたようなアメリカとたいして変わらないものと堕してしまっている。ごめんなさい、モース先生……
「バー・ハーバア」“Bar Harbor”既注。モースの生まれたアメリカ東部のメイン州にある街。同州北東部のカナダとの国境にも近いマウントデザート島にあって、大西洋岸に面した漁師町。古くからリゾート地として知られ、二十世紀初頭にはロックフェラー二世等の大富豪の避暑地として著名になり、多くの別荘開発が行われた(英文ウィキの“Bar Harbor, Maine”などを参考にした)。
「ライアス」原文“lias”。底本では直下に石川氏の『〔ジュラ紀時代の古部〕』と割注する。イギリスのヨークシャーなどにあるライアス統層と呼ぶジュラ紀の化石の宝庫である地層。
「菊石」原文“ammonites”。古生代シルル紀末期(若しくはデボン紀中期)から中生代白亜紀末までの凡そ三億五千万年前後の間、海洋に広く分布し繁栄した絶滅種である軟体動物門頭足綱アンモナイト亜綱
Ammonoidea に属するアンモナイト類の化石。全ての種が平らな巻き貝の形をした殻を持つ。以下、ウィキの「アンモナイト」によれば、アンモナイト亜綱はオルドビス紀から生息するオウムガイ亜綱
Nautiloidea の中から分化したものと考えられている。古代地中海世界においてアンモナイトの化石はギリシアの羊角神アンモーンに因み、「アンモーンの角」(ラテン語 cornu Ammonis)として知られていた。大プリニウスの「博物誌」では貴石類に関する章において“Hammonis cornu”の名を挙げ、「エチオピアの聖石の最たるもののひとつ」として紹介している。こうした伝統を踏まえ、“Ammon”に鉱石名の語尾“-ite”を添えて “ammonite”の名を造語したのは、十八世紀後半のフランスの動物学者ブリュギエールであったともされる。アンモナイトの殻(螺環)の外観は一見しただけでは巻き貝のそれと同じように見えるが、注意深く観察すると一般的なアンモナイトの殻では、巻き貝のそれと共通点の多い等角螺旋(対数螺旋・ベルヌーイ螺旋)構造を持っていることは確かであるものの、螺旋の伸張が平面的特徴を持つ点で、下へ下へと伸びていき全体に立体化していく巻き貝の殻とは異なり、巻かれたゼンマイ発条(ばね)と同じような形で外側へ成長していくものであった(尤も現生オウムガイ類がそうであるように縦巻き)。また、殻の表面には成長する方向に対して垂直に節くれ立った段差が多数形成されていることが多い。さらに巻き貝との違いは殻の断面からも分かり、螺旋が最深部まで仕切り無く繋がっている巻き貝の殻の内部構造に対し、アンモナイトの場合は螺旋構造ではあるものの多数の隔壁で小部屋に区切られた連なりとなっている。この構造は現生オウムガイ類の殻と相似性をなしており、このことからアンモナイトは頭足類であると考えられたのである。殻(螺環)の内部は現生のオウムガイ(ノーチラス)属
Nautilus と同様に軟体部が納まる一番外側の大部屋(住房)と、その奥にあって浮力を担う小部屋(気房(きぼう))の連なりとで構成されており、住房と気房とは細い体管(連室細管)によって繫がり、ガス交換がなされていたと思われる。気房は先に示したように数学的規則性を持ったベルヌーイ螺旋で配置された隔壁(セプタ“septa”)によって奥から順次区分される造りとなっており、そこにあった体液は排出され、代わりに空気が採り込まれることで中性浮力が発生、これによって気房は魚の鰾(浮き袋)に相当する器官として働いていたと考えられている(この説から巨大な種であってもその行動は意外にも不自由はなかったと推測されている)。現生オウムガイ類の飼育研究からは、殻の成長に伴って軟体部が断続的に殻の口の方へと移動し、その後に残された空洞は最初は体液で満たされているものの、浸透圧が作用して体液が自然に排除される仕組みであったと推測されており、積極的にガスを分泌するのではないと考えられている。現生オウムガイ類との相違点としては、現生オウムガイ類の隔壁が殻の奥に向かって窪むのに対し、アンモナイトの隔壁は殻の口の方向に突出する傾向があること、隔壁間の空洞を連結する連室細管は現生オウムガイ類では隔壁の中央部を貫通するのに対し、アンモナイトでは殻の外側に沿っていることが多いことなどが挙げられている。この隔壁はしばしば殻の本体と接する縁の部分で複雑な襞状に折れ込んでおり(これはダンボールや波板・H鋼などと同様に殻の強度を高めつつ軽量化を図るという相矛盾する課題を合理的に達成するための仕組みである)、殻の内面に現れた隔壁と接する縫合線(Suture Line)の形状は年代による差異が明確で、後代のものほど複雑になっており(一部に例外あり)、分類学上重視される形質の一つである。この縫合線はまた、複雑に入り組んだ自然の織りなす模様となってアンモナイト化石に美術的価値を生み出してもおり、その幾何学的且つ不思議にも植物的でさえあるその模様が日本や中国では菊の葉を連想させ、アンモナイトが「菊石」と呼ばれる由来ともなった(これらは殻皮部分を剥がして磨きをかけることによって商品化される)。彼らは実に永い時間繁栄を続けたが、中生代の幕引きとなる白亜紀末のK-T境界(地質年代区分用語で約六五五〇万年前の中生代と新生代の境目に相当する。顕生代において五回発生した大量絶滅のうちの最後のインパクトで、恐竜などの大型爬虫類・アンモナイトの他、多数の海洋プランクトンや植物類、種のレベルで推定最大約七十五%の生物が絶滅したと考えられており、この大量絶滅はメキシコのユカタン半島付近に落下した直径約十キロメートルの巨大隕石が引き金となったと考えられている)を最後に地球上から完全に姿を消した。グーグル画像検索「Ammonoidea」はこちら。]
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