日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 9 モース先生駕籠に乗る――その決死のスケッチ!
この魅力に富む場所を後にすると、道路はせまくなり、奔流する山の小川に出喰わした。水は清澄で青く、岩は重なり合い、坂は急に、景色は驚く可きものである。山々は高く嶮しく、水量は普通かかる場所に於て見られるものよりも遙かに多く、山間の渓流というよりも事実山の河川であった。狭い小径は大きな岩と岩との間をぬけたり、岩にそって廻ったり、小さな仮橋で数回川を超したりしている。この水音高く流れる川に沿うて行くこと一、二マイルにして登りはいよいよ本式になり、急な坂かはてしなき石段かを登ると、所々、景色のいい所に小さな腰掛茶屋がある。その一つは特に記憶に残っている。それは岬(みさき)みたいにつき出た上の、木立の無い点に立っていて、単に渓谷のすばらしい景色を包含するばかりでなく、三つの異る山の渓流が下方で落合うのが見られる。最初の休憩所で見た旅人達のある者が我々に追いついたので、しばらく一緒に歩いた。娘たちは、笑い笑い日本語で喋看(しゃべ)り、時々「オー、アツイ、アツイ」と叫ぶ。私に判った言葉はこれだけ。Hot を意味するので、その日はまったく焦げつくように暑かった。一人の老人が私に質問を発する。私はそれに応じて「汝不可解なる愚人よ、何故汝は汝の言論を作出しないか云云」というようなことをいうと、彼はそれに対して「ハイ」という。「ハイ」はイエスで、我々の逢う人達は、彼等の了解しないことのすベてに対して「ハイ」という。
[やぶちゃん注:現在のいろは坂(この名称は昭和初期から)に入ったものと思われる。途中の「特に記憶に残っている」「腰掛茶屋」とは、現在の「中の茶屋」よりももっと下であろう。現在の地図上で見ると大きな渓谷は二本であるが、当時は他の谷合から流れ出る有意に太い流れが今一本あったとしてもおかしくはない(何せ、私は小学校六年の修学旅行でしか日光に行ったことがない迂闊者である。これらの景観から位置同定が出来る箇所がありますれば、是非、御教授戴けますよう、よろしくお願い申し上げる)。
「一、二マイル」1・6~3・2キロメール。
「汝不可解なる愚人よ、何故汝は汝の言論を作出しないか云云」原文は“"You incomprehensible idiot, why do you not frame your speech," etc., etc.,”。後半は分かり難いが、何ゆえに汝は汝の言葉を役立たせることをしないのか、どうして私に分かるように喋ることがことが出来ぬのか、というモース自身が神となって野蛮にして無知な人間に語りかける霊言を発することに決め込んだといった感じか? 識者の御助言を求む。
「ハイ」我々日本人は相手の言葉を承諾した意(「イエス」)を現わす時以外に、相手に対してあらたまって応答する際に、「はい?」とも使う。後者は特に相手の言っていることが分からない場合にも普通に使用することを考えれば、それらをひっくるめて(というよりモースの英語の質問に対しては殆んどの日本人は意味不明の意の「はい?」をしょっちゅう用いたと考えてよい)『我々の逢う人達は、彼等の了解しないことのすベてに対して「ハイ」という』と感じたものと思われる。無論、言わずもがなながら、初等英語教育を受けた際やヨーロッパ言語で奇異に感じる(私は大いに奇異に感じた)ところの、返答が肯定文なら“yes” やそれに類する語、否定文なら“no” やそれに類する語を用いるモースにとっては、日本人は、なんにでもかんにでも「ハイ」と答える“incomprehensible idiot”と映ったとも言えようか。]
我々一行中の二人は、かわり番こに「カゴ」に乗った。私も乗って見たが、こんな風にして人に運ばれるのは如何にも登山らしくないので、八分の一マイルばかりで下りて了った。駕籠(かご)は坐りつけている日本人には理想的だろうが、我々にとっては甚だ窮屈な乗物で、長い脚が邪魔になって、馴れる迄には練習を要する。私は一寸休んでいた間に急いで駕籠のスケッチをした。長い、丸い竿を肩にかつぎ、それからぶら下る駕籠を担いながら、屈強な男が二人、勢よく歩いて行く所は中々面白い。かごかきはそれぞれ長い杖を持って自身を支え、二人は歩調を合わせ、そして駕籠は優しく、ゆらゆら揺れる。その後からもう一人、これは先ず草疲(くたび)れた者に交代するためについて行く。図74ほカゴで、図75は乗っている時内側から写生したものである。
[やぶちゃん注:「八分の一マイル」約200メートル。早(はや)! モース先生、余程、堪え切れなかったと見える。まあ、確かに図を見る限り、こりゃ、サイズも振動も、悪魔のようにキツそうではある。]