日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 7 陸に上がって一路東京へ2 尊王派の武士の眼付 / 外国人旅行者の煩瑣 / 木場 / 庭石のこと / 屋根の上の防火施設 / 虫売りの行商人
稀(まれ)に我々は、聡明らしく見える老人が、前を通り去る我々を見詰めて、懐古的瞑想にふけりながら、厳格な態度で頭をふるのを見た。それは恰も彼等は旧式な派に属し、そして長い間近づけなかった、また軽蔑していた外国人に、好き勝手な所へ行かせることによって、日本人が無茶苦茶になって了うと信じているかの如くであった。私は彼等が我々に与えた表情的な顔付に、これを読むことが出来た。然し、このような自由は与えられていない。外国人は、四つの条約港に定められた境界線から二十マイル以上は、旅券無しでは出られない。出ればつかまって追いかえされる。この国の内地に入る為には、旅券は、単に実際旅行す可き道筋を細記するにとどまらず、旅行に費す日数までも書かねばならぬ。我々が泊った旅宿では、どこででも宿主か或いは何かの役人が、先ず旅券を取り上げ、注意深く書き写したあげく、我々に面倒をかけたというので、非常に丁寧なお辞儀で詫をする。
[やぶちゃん注:ここに記された当時の外国人の国内居住の制限規定や例外的な旅行許可に纏わる文部省届等については「第二章 日光への旅」の冒頭に附した私の注を参照されたい。]
東京の近くで我々は大きな材木置場を通り過した。板は我国のように乱雑に積み上げず木を切った通りに纏(まと)めて縛ってあるから、建築に取りかかる時、大工は材木の色も木理(きめ)も同じ様なのを手に入れることが出来る。竹の大きな置場も見えた。竹はかたまって立ち、何等かの支柱によりかかっている。石置場もある。ここで五十ドルか百ドル出すと、佐渡か蝦夷(えぞ)からでも来たらしい、奇妙な形の、風雨に蝕磨された石を買うことが出来る。日本人は庭園に石を置くが、その石は遠い所から持って来られる。形の変ったものなら何でもいいのだが、小鳥の飲み水を湛えるようなくぼみが自然に出来たのは、大事にされる。石燈籠をつくるために積み上げる石、小さな庭園の橋をつくる板石、詩文を刻む石、その他の目的に使用する石を日本人は熱心に求める。
[やぶちゃん注:これは恐らく深川木場、現在の東京都江東区木場町の辺りであろう。ウィキの「木場」によれば、『この木場(貯木場)は隅田川の河口に設けられ、江戸時代初期から江戸への建設資材の集積場として発展した。特に江戸では明暦の大火などの大火災がしばしば起こり、その度に紀州など地方から大量の木材が木場を目指して運び込まれた』が、『明治維新以降になると、木場の沖合いのゴミ等による埋め立てが進み、木場の目の前から海が姿を消してしまった』とある。もしかするとこの頃には既にこうした景観が始まっていたのかも知れない(その証拠にモースの描写に親しいはずの海が出ない)。]
大火事の経過を見張るために、家根の足場の上に足場をつくることに就いては、既に述べた。今や私は数軒の家の屋根に水を満した大きな樽と、屋根に振りかかる火の子を消す為の、刷毛のついた長い竿とが置いてあるのを見た。櫓を籠細工でつつんで、見た所がいいようにしたのもあった。
[やぶちゃん注:第一章に『東京の町々を通っていて私はいろいろな新しいことを観察した。殆どすべての家の屋梁(やね)の上に足場があり、そこには短い階段がかかっている。ここに登ると大火事の経過がよく判る。』とある。]
行商人が商品を背中にしょって歩いているのに屢屢逢った。ある行商人は小さな籠の入った大きな箱をいくつか運んでいたが、この籠の中には緑色の螇蚚(ばった)が押し込められたまま、我国に於る同種のものよりも、遠かに大きな音をさせて鳴き続けていた。私は一匹買ってマッチ箱に仕舞っておいたが、八日後にもまだ生きていて元気がよかった。子供はこれ等の昆虫を行商人から買い求め砂糖を餌にやり、我々がカナリヤを飼うように飼うのである。小さな虫籠はまことに趣深く、いろいろ変った形で出来ていた。その一つは扇の形をしていて、仕切の一つ一つに虫が一匹ずつ入っていた。
[やぶちゃん注:三谷一馬「江戸商売図絵」(中央公論社一九九五年)の「虫売り」によれば、江戸の虫売りが商ったのは蛍・蟋蟀(こおろぎ)・松虫・轡虫(くつわむし)・玉虫・蜩などであったと書かれた後に、『江戸の虫売りとは別に、江戸近在の人がきりぎりすや轡虫などを捕えて粗末な籠に入れて売りに来たものもあり、江戸のものより安いのでよく売れたといいます』とある。三谷氏が鈴虫を挙げておられないのはちょっと意外であるが、この中で「緑色の螇蚚(ばった)」となると、
直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科
Gampsocleidini 族キリギリス属キリギリス
Gampsocleis spp. (本邦産は現在、生息域を、青森県から岡山県までとするニシキリギリス Gampsocleis
buergeri と近畿地方から九州地方とするヒガシリキリギリス Gampsocleis Mikado に分ける)
か
キリギリス科
Mecopoda 属クツワムシ Mecopoda nipponensis
ということになる(後者の音(ね)を私はあまり好まないので、ここは前者キリギリスで採りたい欲求にかられる)。
なお、緑色をしたマツムシ(キリギリス亜目コオロギ上科コオロギ科
Xenogryllus 属マツムシ Xenogryllus marmoratus)の緑色をしたようなアオマツムシ(コオロギ科マツムシモドキ亜科マツムシモドキ族
Truljalia 属アオマツムシ Truljalia hibinonis)がいるが、これは外来種と考えられており、明治十年の段階では棲息していなかった可能性が高い(ウィキの「アオマツムシ」によれば最も古いとしても明治三一(一八九八)年である)ので含めない。]