遲き日のつもりて遠き昔かな 蕪村 萩原朔太郎 (評釈) 《リロード版》
遅き日のつもりて遠き昔かな
蕪村の情緒。蕪村の詩境を單的に詠嘆していることで、特に彼の代表作と見るべきだらう。この句の詠嘆しているものは、時間の遠い彼岸に於ける、心の故郷に對する追懷であり、春の長閑な日和の中で、夢見心地に聽く子守唄の思ひ出である。そしてこの「春日夢」こそ、蕪村その人の抒情詩であり、思慕のイデアが吹き鳴らす「詩人の笛」に外ならないのだ。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」巻首の評釈。「單的」はママ。この原句は「懷舊」という前書を持つ。末尾の『この「春日夢」こそ、蕪村その人の抒情詩であり、思慕のイデアが吹き鳴らす「詩人の笛」に外ならない』と朔太郎が蕭条たるその「詩人の笛」吹き鳴らした途端、蕪村の顔は朔太郎になっているのだ。]
*
同作の評釈部の秋と冬の部はこれで総てを公開した(一連の連続公開で一部抜けているものはずっと以前の記事で公開しているので捜されたい。但し、今回のものは注を変更・追加したため、過去のものを削除してのリロード版とした)。本日より「春の部」に入る。
« 雪色の薔薇 大手拓次 | トップページ | 中島敦短歌拾遺(5) 「南洋日記」(昭和16(1941)年9月10日―昭和17(1942)年2月21日)より(3) 南洋にて……そして……恐らくは現存する中島敦最後の和歌…… »