中島敦 南洋日記 九月二十日
九月二十日(土) 夏島
五時三十分起床、すでに陽高し、
九時上陸、郵便投函、高木氏、機關長等と散歩す、到る所、工事工事、切崩し、ハッパ、水兵、島民勞働者、を見る。店頭を見るに物資乏しきに似たり。殊に食料品に於て、しかり。ハッパをかける轟音。巨大なる木綿(カボック)の茂み。水潟地に生ふるカントン。(食料用となる由)
十時半歸船。
Mariana――Maria Anne ( of Austria, 17C. ) 午後三時出帆、
[やぶちゃん注:「巨大なる木綿(カボック)」「ボ」はママ。カポックならば、英名の“Kapok”でアメリカ・アフリカ原産の被子植物門双子葉植物綱アオイ目アオイ科パンヤ科パンヤ亜科セイバ属カポック Ceiba pentandra 、所謂、パンヤ・パンヤノキのことを指すが、「木綿」(キワタ)となると、アジア原産の同じパンヤ亜科キワタ Bombax ceiba ということになる。両者はしばしば混同されるので同定し難いが、ここで敦が「巨大なる」と言っているところから見ると、大樹になると幹の甚だ太い巨木になる前者のカポック
Ceiba pentandra のことのようには見える。アメリカ・アフリカ原産(キワタはアジア原産)。アメリカや東南アジアなどで栽培されている。カポックの実から採取される繊維は撥水性に優れ、枕などの詰め物やソフトボールの芯として使われている他、第二次世界大戦中は救命胴衣にも利用されていた(現在も救命胴衣のことをカポックと呼ぶ。但し、本来がこの繊維のことを「カポック」「パンヤ」と呼んだことに基づく命名である。以上はウィキの「カポック」に拠った)。
「カントン」不詳。広東を冠する植物や根菜はあるが、どうも南洋諸島の潟地に生え(ということは有意に塩分濃度の高い水に適応していると考えられる)、しかも食用になる(ということは一見、食用になるようには見えないことを意味しているようにも思われる)ものとなるとピンとくるものがない。イモの類いのようには思われる。これは「広東」ではなく、現地語の音なのかも知れない。南洋諸島の植物にお詳しい方の御教授を乞うものである。
「Mariana――Maria Anne ( of Austria, 17C. )」かく呼ばれた十七世紀に生きた人物は、
神聖ローマ皇帝フェルディナント三世の皇后マリア・アナ・デ・アウストリア(María Ana de Austria 一六〇六年~一六四六年)
バイエルン選帝侯マクシミリアン一世の二度目の妃マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ(Maria Anna von Österreich 一六一〇年~一六六五年)
スペイン王フェリペ四世の二度目の王妃マリアナ・デ・アウストリア
(Mariana de Austria 一六三四年~一六九六年)
プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムの最初の妃マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ(Maria Anna Josepha von Österreich 一六五四年~一六八九年)
らがいるが、敦が興味を持った女性は事蹟を調べて見ても今一つ、ピンとはこない。]

