鬼城句集 秋之部 小鳥來
小鳥來 小鳥この頃音もさせずに來て居りぬ
[やぶちゃん注:「小鳥來」他に「小鳥渡る」、さらに実は「小鳥」も秋の季語である。この場合、所謂、秋にやって来る渡り鳥や漂鳥、さらには広く山地から人里に降りてくる小鳥などを指す語である。具体的に羽鶸・鶫・連雀・尉鶲(ジョウビタキ)・花鶏(アトリ)などを指すようである。「村上鬼城記念館」公式サイト「鬼城草庵」のトップ・ページで柿実の絵を添えた色紙が見られる。本「鬼城句集」の「序」で、高浜虚子の「序」とともに「境涯俳人」というレッテルを鬼城に貼った共犯者大須賀乙字は『この小鳥こそ氏の獨坐愁を抱く懷情そのまゝの姿ではないか』と絶賛した。この句、鬼城を境涯俳人とする評釈では決まって耳を患って小鳥の飛来を聴くことが出来ないのだと前置きするが、聾という事実を知として知っていることを『鬼』の首を獲ったように言い出すこと、これを言わずもがな、というのである。寧ろ、この小鳥は我々もしばしば経験する事実として、「音もさせずに來て居りぬ」、なのである。その自然への敬虔にして優しい視線こそが本句の眼目であり、そうした詩心を見ない評釈は、糞喰らえったら死んじまえなの、である(私が「境涯俳人」という語を生理的に激しく嫌悪することについては私の「イコンとしての杖――富田木歩偶感――藪野直史」をお読み戴けると幸いである。]
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