明恵上人夢記 26
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興隆の願以後の夢想等。
元久二年十二月十四日の夜、一條の講堂に於いて大願成就之由を祈請す。夢に云はく、一處有り、險危極り無し。將に其の上に登らむとす。手を立つるが如き盤石也。成辨、下より此の上に登る。鏡智房(きやうちばう)・禪□房兩人有りて、下より成辨を扶(たす)け擧げて、其の上に押し登る。其の盤石の上に板を布(し)き次(つ)ぎたり。板面に帝釋・梵王幷に諸神祇の名を書けり。其の上を匐行(ふくぎやう)す。鏡智房等云はく、「父母の一子を愛するが如くにすべし」と唱へて、之を押して上に到著するに、紀洲也と思ふ。筑前殿、尋常に例ならずして、其の形、美妙也。齡十四五許り、上に在りて、懌(よろこび)の面にして成辨に對ひ、宴坐すと云々。
[やぶちゃん注:「興隆の願」冒頭に記された「一條の講堂に於」ける「大願成就之由」の「祈請」を指しているものとは思われる。ここまでに記された丹波殿からの依頼に基づく何らかの祈願であったか。
「元久二年」西暦一二〇五年。明恵、満三十二歳。
「鏡智房・禪□房」不詳乍ら、夢の中の呼び掛けの内容から見ると弟子とは思われない。
「筑前殿」不詳(一応、男性ととっておくが女性かも知れない)。紀州にいる人物のようだ。ただ実在するその筑前殿は事実は「十四五」歳ではなく、もっと年をとった人物なのではあるまいか? だからこそ、わざわざ「尋常に例ならずして、其の形、美妙也。齡十四五許り」と記しているのだと私は思う。則ち、この夢では筑前殿は童形(どうぎょう)、則ち、神の使いたる童子(童女? この場合は中性的「童子」であればよいのだと私は思う)として形象されているのではあるまいか?]
■やぶちゃん現代語訳
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興隆の祈願以後の夢想等について記す。
元久二年十二月十四日の夜、一條の講堂に於いて大願成就の主旨を以って祈請を行った。その夜の夢。
「ある場所に私はいる。
そこは危険極まりない断崖絶壁の下である。
まさにその上に私は登ろうとしているのであった。
それは腕を立てたように垂直に切り立った盤石(ばんじゃく)なのであった。
私は、その真下からこの上に攀じ登ろうというのである。
同行の鏡智房と禪□房の両人が私の両側に立って、下から私の体を助け支えて押し上げ、私は遂にその針のような垂直の独立峰の上に押されて登ることが出来たのであった。
見ると、その盤石の上には板が敷かれてあって、それが空中に次々に接(つ)がれて延びているのであった。
その板の面(おもて)には帝釈天や梵天並びに諸神祇の名が書かれてあった。
その板の上をさらに匍匐して進んでゆくのであった。
九天直下、落ちれば命はない――
――と
鏡智房らが遙か下から叫んで言った。
「――父母が一人の子を愛するが如くにするがよい!」
と何度も何度も唱えるように叫んでいるのである。
――さればこそ
と、この狭く薄い中空に突き出た板の架け橋の上を怖ろしさを堪えつつ、どんどんとさらに上へ上へと這い登っていった。
――すると
――どこかに到着した。
その瞬間、私は、
「……ここは――懐かしい紀州だ!……」
と思ったのである。
そうして確かにそこには懐かしい筑前殿が、いた……
……ところが……不思議なことに、筑前殿のお姿、見目形は、えも言われぬ妙なる美しさなのであった。……
……年の頃も、まだ十四、五歳ばかり……堂上に在って、満面の笑みを浮かべて私に向かい、宴げの座にましましておれれるのであった。……」
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