無爲の世界の相について 大手拓次
無爲の世界の相について
ながいあひだ私は寢てゐる。
何事もせず、何物も思はない、心の無爲の世界は、生き生きとして花のさかりの如く靜かであつた。
わたくしは日頃から、眼に見えないものへ、また形のないものへのあこがれを抱いてゐたのであつた。この願ひはいつ果されるともなく、わたくしの前に白く燃え續けてゐた。
偶然にとらへられてその白く燃えてゐる思念が、この無爲の世界のなかに此上もなくふさはしく現はれてきたのであつた。
その時、心の「外へのよそほひ」は凡てとりさられ、心は心みづからの眞の姿にかへつて、ほがらかに動きはじめたのであつた。
心は表面の影を失ひ、内面の自由な動きの流れへ移つたのである。
わたくしは見知らぬ透明な路をあるいてゆくのである。
心のおもては閉ざされて暗い。けれど形よりはなれようとする絶えざる内心の窓はらうらうとして白日よりもなほ明らかである。
感情は靑色の僧衣をきてかたはらに佇んでをり、たえず眠りの横ぶえをふいてなぐさめてゐるではないか。
[やぶちゃん注:本詩を以って詩集「藍色の蟇」の詩本篇が終わる。因みに、本詩題は岩波版「大手拓次詩集」では、
病間錄
――無爲の世界の相に就て――
となっており(正字化して示した)、二段落目の「この願ひはいつ果されるともなく」の部部は同岩波版では、
この願ひは、いつ果されるともなく
と読点が入っている。]