日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 23 誰が破廉恥なのか?
ここで、一寸横道に入るが、私は裸体の問題に就いてありの儘の事実をすこし述べねばならぬ。日本では何百年かにわたって、裸体を無作法とは思わないのであるが、我々はそれを破廉恥(はれんち)なこととみなすように育てられて来たのである。日本人が肉体を露出するのは入浴の時だけで、その時は他人がどうしていようと一向構わない。私は都会ででも田舎ででも、男が娘の踵や脚を眺めているのなんぞは見たことがない。また女が深く胸の出るような着物を着ているのを見たことがない。然るに私はナラガンセット・ビヤや、その他類似の場所で、若い娘が白昼公然と肉に喰い込むような海水着を着、両脚や身体の輪郭をさらけ出して、より僅かを身にまとった男達と砂の上をブラリブラリしているのを見た。私は日本で有名な海水浴場の傍に十週間住んでいたが、このような有様にいささかなりとも似通ったことは断じて見受けなかった。男は裸体でも必ず犢鼻褌(ふんどし)をしている。かつて英国のフリゲートがニュージーランドのある港に寄り、水兵たちがすっぱだかで海水浴をした所が、土人たちは必ず腰のあたりに前かけか犢鼻褌かをしているので、村の酋長が士官に向って、水兵たちが何も着ずにいる無作法さに就いて熱烈な抗議をしたことがあると聞いている。
[やぶちゃん注:……モース先生が今のアメリカナイズされた日本をご覧になられたら……と思うと、私は慄然とせざるを得ない……
「ナラガンセット・ビヤ」原文“narragansett pier”。“pier”は桟橋の意味であるが、英文記事などを参照すると、これ全体が地名として機能しているようである。はロードアイランド海峡の北側に面した広大なナラガンセット湾(Narragansett Bay)及び入り江とそのビーチを指す呼称と思われ、湾内にはアクィドネック島・コナニカット島・プルーデンス島などの大きな島と島嶼群を擁すリゾート地らしい。ロードアイランド州の州都で最大の都市プロビデンスが湾の北の入り江の奥西側にあり、アクィドネック島には保養地・別荘地として有名なニューポートもある。
「日本で有名な海水浴場の傍に十週間住んでいた」既に見た通り、この日光旅行直後の第五章以下に記される江の島臨海実験所での体験を指すが、同年七月十二日~八月二十八日までで(途中で短期に横浜や東京に出向いてもいる)、延べ四十八日間で実質は七週間弱、同年のカレンダー上の週単位で見ても八週間で、ややドンブリではある。
「英国のフリゲート」“an English frigate”。フリゲート艦は近現代では高速で機動性をもつ駆逐艦や大型護衛艦を指すが、これは「かつて」の、まだイギリス直轄植民地となる前後(一八四〇年二月)の先住民族のマオリが多数居住していた頃の「ニュージーランド」でも話柄という感じから見るなら、その前身である十八~十九世紀の帆船時代の名残を引いた偵察・警戒・護衛などを主任務とした小型で高速・軽武装の軍艦かと思われる。]
« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 22 湯元温泉にてⅠ | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 24 美しい日本の裸体の娘たち »