中島敦 南洋日記 九月十七日
九月十七日(水) (パラオ丸)
靜穩 快晴、既に二日以來陸影を見ず、麻雀二囘、夜七時より映畫あり、「或日の干潟」面白し、
食卓に於ける閑談二三、
「グリーニッチナツィツク島の話。泡盛二本やるといへば、豚一匹抱へてくる由、椰子一本、三圓にて買ひ、其の若芽を食する話。南洋に於ける最大の贅澤。」
コロールに於ける性的犯罪、必ずしも島民のみに非ず、極祕とせざるべからざる向もある由」
東京のラヂオ、七時のニュース、頗る良く聽える、南島巡島記讀了、頗る面白かりし、
[やぶちゃん注:「或日の干潟」昭和一五(一九四〇)年理研科学映画製作になる監督下村兼史の作品。上演時間約十八分の教育映画。下村兼史(しもむらけんじ 明治三六(一九〇三)年~昭和四二(一九六七)年)は日本の鳥類生態写真家で記録映画監督で、この「或日の干潟」で文部大臣賞・皇紀二千六百年奉祝芸能祭文化映画コンクール首席を受賞、「ちどり」(東宝教育映画部・昭和二二(一九四七)年公開)で文部省選定・映画世界賞受賞、
「こんこん鳥物語」(東宝教育映画・昭和二四(一九四九)年)で文部大臣賞・第四回毎日映画コンクール教育文化映画賞受賞するなど、多作品の受賞も多く、本邦初の鳥類生態映像の記録を中心に野生生物をフィルムに収めた。日本初の鳥類生態写真集を刊行して鳥類標本では得られない生態の研究に大いに貢献した写真・映像作家である。作品の画像附きの詳細解説が個人ブログ「Sightsong」の「下村兼史『或日の干潟』」にある。必見!
「グリーニッチナツィツク島」不詳。パラオに限っても人の住む島だけでも四〇〇もあり、しかも敦のいた時代と島の呼称が変わったところもあるのでお手上げ。悪しからず。次の次の九月十九日の条に「トラック大環礁」という語が出るので、パラオから真西のミクロネシアへの視察航海であることだけは分かる。
「コロールに於ける性的犯罪、必ずしも島民のみに非ず、極祕とせざるべからざる向もある由」この情報は、その既に直近で発生したと思われるコロールでの性犯罪(それも猟奇的な若しくは重大な)の犯人が現地人ではなく日本人である可能性(証拠や証言)、を示唆するものであろう。
「南島巡島記」これは後の九月二十二日の項に出る「南島巡航記」の誤りではなかろうか?]