古寺やほうろく捨つる芹の中 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
古寺やほうろく捨つる芹の中
荒廢した寺の裏庭に、芥捨場のやうな空地がある。そこには笹竹や芹などの雜草が生え、塵芥にまみれて捨てられてる、我樂多の瀨戸物などの破片の上に、晩春の日だまりが力なく漂つて居るのである。前の句と同じく、或る荒寥とした、心の隅の寂しさを感じさせる句であるが、その「寂しさ」は、勿論厭世の寂しさではなく、また芭蕉の寂びしさともちがつて居る。前の句やこの句に現はれてゐる蕪村のポエジイには、やはり彼の句と同じく人間生活の家郷に對する無限の思慕と郷愁(侘しさ)が内在して居る。それが裏街の芥捨場や、雜草の生える埋立地で、詩人の心を低徊させ、人間生活の廢跡に對する或る種の物侘しい、人なつかしい、晩春の日和のやうな、アンニユイに似た孤獨の詩情を抱かせるのである。
因に、この句の「捨つる」は、文法上からは現在の動作を示す言葉であるが、ここでは過去完了として、既に前から捨ててある意味として解すべきでせう。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。「ほうろく」の仮名遣は「はうろく」が正しいが、蕪村自身がかく記しているのでママとした。「芭蕉の寂びしさ」の「寂びしさ」はママ。「ほうろく」は「焙烙」で『一般的には』、低温で素焼きされた平たい土鍋指し、炒鍋(いりなべ)ともいう。朔太郎も諸注もこれをただ、『日常的に捨てられた日用品の鍋としての焙烙』と採っているようだが、そうだろうか? これは夏の土用の時期に日蓮宗の寺院で行われることの多い日蓮宗の修法行事である『ほうろく灸に用いられた焙烙』(素焼きの皿のような形状を成すものが多い)が捨てられているのではあるまいか? 私は一読、そのように読んだ。「ほうろく灸」は酉の市の寺として知られる浅草長国寺を始めとして江戸時代から現在まで続けられている呪(まじな)いで、頭に素焼きの「ほうろく」を笠のように被せて、その上に火の点いた艾(もぐさ)を乗せて祈禱を行うと、頭痛封じや夏負けなど、無病息災の『有り難い』ご利益を得ることが出来ると喧伝されている。私は無論、その去年のほうろく灸で用いられた『有り難く霊験あらたかな』はずの焙烙が、皮肉にも法華宗の古刹の裏の、それも新緑の芹が生き生きと鮮やかに茂った(……私は昔、亡き母と今はなき裏山の池によく芹を採りにいったものだった……)泥池の中に、累々と無造作に投げ捨てられている(それらはまた土へと還ってゆく)という諧謔的観想をも、印象派的な春の陽射しの光景の中に描き込んだもののように感じている、ということである。大方の御批判を俟つものではある。]

