上海劇団夢
僕は上海の劇団に招聘されて出演することとなる。
それは戦前の上海租界を舞台とした近代劇で、僕は日本人租界の若き通弁役、主役級の配役達と絡む重要な脇役である(夢の中の僕は二十代なので「若き」は悪しからず)。日本人俳優は僕一人である。
しかし僕は中国語が全く出来ない(事実である)。
リハでは台詞の総てをカタカナに直したものを現地通訳に発音して貰い、それを丸覚えして臨んだ。
ヒロインの美しい女優との絡みのシーンなどではドキドキしたが、台詞の臨場感の表現には相応に自信があった。演出家も言っていることは分からないが、表情や身振りを見る限り、満足して呉れているようだ。
しかし、所詮、中国語が離せない僕は、オフになると何か鬱々としているのであった。
フランス租界の青年役(「シベールの日曜日」の大好きなハーディ・クリューガー似)と一緒にホテルのレストランに食事に出かけると、その店の前の看板に僕の好きピカレスク詩人フランソワ・ヴィヨンの詩の一節が書かれていて、僕はそれに感動してしまって、彼にそのことを説明しようとするのだが、すっかりフランス語を忘れてしまった(事実。僕は一応、大学の第一外国語はフランス語であったが、もうすっかり忘れてしまった)ため、片言の英語で語るしかなく、それを彼は何か如何にも憐れむように笑って聴いているのだった。
僕の定宿はラビリンスのような九龍城めいたアパートである。
時々、自分の部屋が分からなくなって、その迷路のような中をカフカの小説の様に上がったり下りたりするシーンが続く。
隣人の中国人たちは僕が全く中国語を離せないのに、何故か皆、親切だ。
そんな中で僕は、
『……これから……どうしよう……』
と悩んでいるようだ。
シーンが変わる。
僕はその宿のラウンジにボーイの服装で立っているのであった。
そうしてベルベットを持ってひどく汚れたフロアーにある机を懸命に磨いているのであった。
その側を先の女優が通りかかって、僕に、
「何故、そんなことをしているの?」
と声をかけて来た。
……しかし、僕は何も聴こえないように……もくもくと机を磨いているのだった。
――その時、「夢を見ている僕」は気がついたのだ――
――「夢の中のその僕」は役者人生を擲って――この迷宮のような妖しい旅宿で――「聾唖の中国人のボーイとして生きる」ことを選択したのだ――と……
*
変わった夢だった。
しかし何か僕は仄かなペーソスとともに爽やかな諦観ともいうべき意識の中で、今朝、目覚めたのだった……。
ではまた――随分、御機嫌よう――