中島敦 南洋日記 九月三十日
九月三十日(火) ジャボール
竹内氏宅にて朝食の馴走になる。公學校授業二時間見學。淀川の家に行き、雞スープ、ホット・ケーキその他を喰ふ。十時半、飯田氏の家にて、雞すきやきをよばれ、福德氏持參の雞の石燒を喰ふ。頗る美味。椰子竹、又、雅味あり。食料最も缺乏せりと聞きし此の島にて、斯かる珍味の數々にあはんとは思ひがけざりし。完全に滿腹。食後、細菅萱氏宅にて將棋。
二時半支廳ランチにて乘船。三時出帆。乘客に海軍々人多し。夜、將棋。
竹内氏よりバンド、淀川氏より、ウチハとバンドと。細萱氏よりバナナ、パパイヤを貰ふ。
[やぶちゃん注:「椰子竹」メキシコ東部原産のヤシ科タケヤシ
Chamaedorea microspadix というのがあるが食用になるかどうかは不明。マダガスカルやアフリカ等熱帯雨林気候地区及びインド太平洋地域を原産とするヤシ科 Dypsis 属アレカヤシ Dypsis lutescens は和名コガネタケヤシ(黄金竹椰子)と言い、ウィキの「アレカヤシ」には、『ヤシの名称通り殻に包まれた種子が生る。果実は卵形から楕円形で』、長さ約二センチメートル、『橙黄色から黒紫色に熟す。原生地域では鳥類や蝙蝠等の小動物の食料元となるが、現在においてはヒト用の食用には利用されない』とあるから、かつてはこの種子が食用とされたことが分かる。これか?
最後に同日附の桓宛書簡を示しておく。
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〇九月三十日附(ヤルートで。旧全集「書簡Ⅱ」書簡番号四二)
東京(とうきよう)は、もう秋(あき)だね。かきやくりがたべられていいね。
南洋には、秋(あき)も春(はる)もなくて、年中(ねんぢゆう)バナナとパパイヤばかり。
桓や格に、あひたいな。
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この時、次男格(のぼる)は未だ満二歳七ヶ月であった。]
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