日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 3 利根川下り――暗闇でドッキリ!
この地、野渡(のわた)で我々は舟に乗り、利根川を下ることになった。利根川の航行は野渡で始まる。Nowata の最後のAがRのように発音されるので、そこから舟運が始まる場所の名前として no water は適切であるように思われた。東京までの六十マイルを、我々をのせて漕いで行く舟夫が見つかった時は、もう夜の十時であった。一寸さきも見えぬような闇夜で、雨は降るし、殊に最後に河を下った時、河賊に襲われたというので、舟夫は容易に腰をあげなかった。ドクタア・マレーと私とは、我々二人が非常に物凄い人達で、よしんば河賊が何十人敢て現われようと、片っぱしから引きちぎつてやるということを示した。この危険は恐らく、大いに誇張されていたものであろうが、それでもその時には、我々の旅行に興奮的の興味を加えた。それで気持のよい宿主達に「サヨナラ」を告げた後、我々は親切な男の子達が手にさげた紙提灯(ちょうちん)の光に照らされて、濡れた原や藪を通って河岸に行った。舟は長い、不細工なもので、中央部に接ぎ合した葺屋根に似た小さな莚の屋根を持つ場所がある。舟には、舵を取る邪魔になるというので、燈火がない。我々は手さぐりで横になる場所をさがした。私は一時間ほどの間坐ったままで、周囲の新奇さを楽しんだ。舟夫は無言のまま、長い、間断ない振揺で櫓を押し、人々は熟睡し、あたりは完全に静寂である――事実、多くの不思議な昆虫類が立てる疳(かん)高い鳴声を除いて、物音は全く聞えぬのであった。この鳴声の多くは、私が米国で聞き馴れているものに比べて、余程調子が高く、また金属性であるか、又はその拍子が我国のと違うかしていた。煙草を吸いながら、半分は夢を見ながら、私は時々私自身が、河岸に近い黒い物体を疑深く見詰めているのに気がついた。ピストルを持っていたのは私一人であるが、そのピストルもゴタゴタに詰めた鞄の底に入っている。弾薬筒がどこに仕舞ってあるか私は知らなかったし、また晴間で荷物を乱雑に積み込んだのだから、空のピストルを見つけることさえも問題外である。いずれにせよ、眠ようと思って横になった時、はほ若し河賊がやって来たら、竹竿を武器にして戦おうと考えた。夜明けにはまだ大部間のある時、何かに驚いた舟夫がドクタア・マレーを呼んだ。ドクタア・マレーは起き上って、しばらく見張りをしたが、最後に何でもないという結論に達した。(これは私が日本でピストルを持って歩いた最後なので、特にこの事件を記録する。)舟夫は恐らく賃銀を沢山貰おうとして、河賊が出るとうそをついたのであろう。日本に数年住むと、日本の最も荒れ果てた場所にいる方が、二六時中、時間のいつを問わず、セーラムその他我国の如何なる都市の静かな町通りにいるよりも安全だということを知る。
[やぶちゃん注:「野渡」栃木県下都賀郡野木町野渡。茨城県古河市の北直近、利根川支流の渡良瀬川にその支流である思川が合流する辺りに当る。
「no water」底本では直下に石川氏の『〔水なし〕』という割注が入る。結構、モース先生、シャレ好き!
「河賊」原文“river pirates”。
「弾薬筒」原文“the cartridges”。]
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