柴漬の沈みもやらで春の雨 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
柴漬の沈みもやらで春の雨
春雨模糊とした海岸に、沈みもやらで柴漬が漂つて居る。次の句も類想であり、いずれ優劣のない佳句である。
よもすがら音なき雨や種俵
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。「よもすがら」の句は底本ではポイント落ち。「種俵」は「たねだはら」と読み、稲の種籾(たねもみ)を入れておく俵で、春の蒔く前には種井(たない)・種池などに漬けて発芽を促しておくもの。]
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柴漬の沈みもやらで春の雨
春雨模糊とした海岸に、沈みもやらで柴漬が漂つて居る。次の句も類想であり、いずれ優劣のない佳句である。
よもすがら音なき雨や種俵
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。「よもすがら」の句は底本ではポイント落ち。「種俵」は「たねだはら」と読み、稲の種籾(たねもみ)を入れておく俵で、春の蒔く前には種井(たない)・種池などに漬けて発芽を促しておくもの。]