あをい冠をつけて 大手拓次
あをい冠をつけて
こんこんと流れゆく水の行くへの彼方にはみづみづしい漿果(このみ)のたわわにかをる綠の野がある。力なく、たよりなく、かすかに燃える火の空色を抱きながら、わたしは恍惚とおぼろにさまよひあるくのである。わたしは灰色にけぶる靑い冠をつけてながいながい裾をひいて無言をまもつてゐる。
みたまへ、金褐色の大鳥はあやしげな叫びをひびかし黑い小さな渡り鳥のむれは幻のやうに集合離散してはてしがない。絹の絲のやうにいましめの綱のすがたがふかい空のなかに媚をしたたらしてゐる。
わたしはすすまう。手をしばられても、足をしばられても、顏も背中もしばられても、わたしの魂を迎へてくれるみどりの里へゆかう。うちつれてならす幻怪の太鼓のおとよ、いつまでも、わたしのこの淸純な憧憬の社(やしろ)をめぐれ。
惡の花のあまく咲きこぼれ、みだれさわぐ豐麗なからだのうちにわたしの芽はたえまもなく生長する。
[やぶちゃん注:思潮社「大手拓次詩集」では、二・三段落が(漢字は本表記に準じて正字化した。相違部分に私が下線を引いた)、
みたまへ、金褐色の大鳥はあやしげな叫びをひびかし、黑い小さな渡り鳥のむれは幻のやうに集合離散してはてしがない。絹の絲のやうにいましめの網のすがたがふかい空のなかに媚をしたたらしてゐる。
わたしはすすまう。手をしばられても、足をしばられても、顏も背中もしばられても、わたしの魂を迎へてくれるみどりの野へゆかう。うちつれてならす幻怪の太鼓のおとよ、いつまでも、わたしのこの淸純な憧憬の社(やしろ)をめぐれ。
となっている。鳥という点では「網」、「いましめ」という点では「綱」、畳み懸ける条件句の荒寥感からは「みどりの野」、「わたしの魂を迎へてくれる」という期待感からは「みどりの里」といった印象を受ける。]