耳嚢 巻之七 武者小路實蔭狂歌の事
武者小路實蔭狂歌の事
雲霞といふ題にて、
足なくて雲の行さへおかしきに何をふまえて霞たつらん
□やぶちゃん注
○前項連関:三つ前の「加茂長明賴朝の廟歌の事」に続く和歌シリーズ。
・「武者小路實蔭」「耳嚢 巻之四 景淸塚の事」に既出。公卿・歌人であった武者小路実陰(むしゃのこうじさねかげ 寛文元(一六六一)年~元文三(一七三八)年)の誤記。和歌の師でもあった霊元上皇の歌壇にあって代表的歌人であった。「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年であるから、百年も前の古い話柄(鎌倉とでは比較にならぬものの、やはり古歌という観点では前の「加茂長明賴朝の廟歌の事」と軽く繫がるか)。
・「足なくて雲の行さへおかしきに何をふまえて霞たつらん」――足がないのに「雲の行く」というのさえ面白うてならぬのに――一体全体――何を踏(ふん)まえて――霞は「立つ」というので――おじゃる?――
■やぶちゃん現代語訳
武者小路実陰殿の狂歌の事
「雲霞」という御題にて、武者小路実陰殿の詠まれた歌。
足なくて雲の行さへおかしきに何をふまえて霞たつらん
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