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2013/10/02

耳嚢 巻之七 其角惠比須の事

 其角惠比須の事

 

 蓮雀町に淺草海苔を商ふ富貴に暮(くらし)し町人有しが、俳諧抔好みて其角(きかく)と友たり。年毎に惠比須講には其角も招かれしが、或年の十月其角方へ一向沙汰なし。多年招きぬるに今年沙汰無(なき)はいか成(なる)故やと、晉子(しんし)も□所より立出て彼(かの)町家ヘ音(おと)なひしに、いつに替りていと淋(さびし)く、惠比須講の氣色(けしき)もなき故、いか成事ぞと召仕ふ者に尋(たづね)ければ、さればとよ、今日が惠比須講に付(つき)備へ侍る德利(とつくり)を、妻なる者淸めすゝぐ迚取落し缺け損じけるが、年久しく侍る品のかけ損じ、ひとへに家の衰(おとろへ)る瑞相成(ずいさうなり)迚甚(はなはだ)怒り、妻を里へ歸すとの以の外の騷(さはぎ)になれば、惠比須祭り沙汰もあらず、御身は心安き事なれば何卒治(をさま)る樣斗(はから)ひ給はれと言しに其角驚きて、仕樣もあれば短册(たんざく)を出し給へとて、やたて筆取りて、

  惠比須講德利の掛のとれにけり

かく書(かき)て亭主に見せければ、面白くも説たり、さらば惠比須講せよと、家内さゞめきて妻の離緣も事なく過(すぎ)しよし。右晉子が短册を惠比須の神額となして、今に其角惠比須と言(いふ)となん。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:狂歌譚から俳諧譚へ。但し、「卷之七」の執筆推定下限である文化三(一八〇六)年より百年も遡る古い話柄である。

・「其角」蕉門十哲の一人である宝井其角(寛文元(一六六一)年~宝永四(一七〇七)年)。「晉子」は別号。

・「蓮雀町」連雀町の誤り。現在の神田須田町一丁目の内にあった地名。万世橋と須田町一丁目及び淡路町二丁目に囲まれたところで、町名の由来は行商人が背負う荷籠の連尺(肩に当たる部分を麻縄などで幅広く編んだ荷縄やそれを木の枠に取り付けた背負い子のこと)などに因んでいると言われ、後に「尺」が「雀」に変わったものとされている。

・「淺草海苔」紅色植物門紅藻綱ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属アサクサノリ Porphyra tenera の乾燥加工品である浅草海苔は(以下、参照したウィキの「アサクサノリ」より引用)、『徳川家康が江戸入りした頃の浅草寺門前で獲れたアサクサノリを浅草和紙の技法で板海苔としたのがものを『浅草海苔』と呼ぶようになった。当時は焼かずにいたが、その後に焼き海苔として使用するようになった』。『江戸時代に隅田川下流域で養殖された江戸名産のひとつで、和名は岡村金太郎による。名の由来は、江戸の浅草で採取、販売、製造されたため、など諸説ある』。『海苔の種類の中では、味、香り共に一級品であるが、養殖に非常に手間がかかり、また、傷みやすく病気にもかかりやすいため養殖が難しく、希少であり、高級品である』。『採取年代は古く「元亀天正の頃」と記す書物もあるが、永禄から天正年間には浅草は海から遠ざかっており、』天正一七(一五八九年)年の徳川家康の入府後の江戸初期には早くも『干拓により海苔の採取が不可能になっている。下総国の葛西で採れた海苔などが加工されて販売されつづけ、消費地である江戸の市街地造成や隅田川の改修などにより浅草が市や門前町として発展すると評判が上がり、江戸の発展とともに「浅草」を冠せられるようになったと考えられている』。寛永一五(一六三八)年『に成立した松江頼重『毛吹草』には諸国の名産が列記されており、浅草海苔は品川海苔とともに江戸名産のひとつにあげられている。また、江戸時代には高僧により食物の名が命名される伝承があるが、浅草海苔も精進物として諸寺に献上され、これが幕府の顧問僧で上野寛永寺を創建した天海の目に留まり命名されたとする伝承がある』。『浅草は紙の産地としても知られ、享保年間には紙抄きの技術を取り入れた抄き海苔も生産されるようになった』とある。また、岩波の長谷川氏の注によれば、本話柄当時は採取と加工は『品川・大森辺で作った』とある。現在、絶滅危惧Ⅰ類に指定されており、旧来の生育地では絶滅したとされていたが、近年(といっても六年ほど前)、多摩川河口で発見された(それを自然観察中にたまたま発見する番組を私はリアル・タイム見たので印象深い)。当該関連記事は二世南陀伽紫蘭氏のブログ「[季刊里海]通信」の二〇〇六年十二月十九日附「多摩川河口で発見されたアサクサノリの鑑定論文が掲載されました」を参照されたい。依頼すれば当該鑑定論文も頂けるらしい。

・「惠比須講」夷講・恵比須講・恵美須講などとも書く。えびす神を祭る行事であるが、えびす神の信仰を受け入れるにあたって、商家においては、同業集団の組織と結び付いてえびす講中をつくり、一方農村では、地域集団の祭祀組織に結び付いたものと、年中行事的な各戸の行事として受け止めた所とがあり、それらが相互に混在して重複している。期日は旧暦十月二十日が一般で、旧暦十月は神無月、全国の神々が出雲へ集合するという伝承が広く行き渡っているが、その期間は神々が不在になるために神祭りも行われなかった。そこで古来からあった十月二十日のえびす神の祭りを正当化するため、「夷様の中通(なかがよ)い」などと称してえびす講の前後だけ出雲から帰ってくるのだと解釈したり、えびす様と祭日を十月十日とする金毘羅様だけは留守神だから出雲へ行かないという説明をしたりしている。えびす講を十一月二十日にする例もあり、年の市と結び付いて十二月二十日にする所もある。農村では十月と一月二十日をともに祝ってえびす様が稼ぎに行く日と帰る日であるなどとする地方も多いという。えびす講の日は神棚に一升枡を上げて、中に銭や財布を入れて福運を願ったり、東北から中部にかけての広い地域では鮒などの生きた魚を水鉢に入れてえびす神に供えたり、またこの魚を井戸の中に放したりする(以上は小学館「日本大百科全書」の記載に拠った)。

・「□所より立出て」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『暮前より立出て』とある。これで訳した。

・「瑞相」底本では左にママ注記があるが、「瑞相」には、第一義的には目出度いことの起こる徴し、奇瑞の様相・吉兆以外に、単なる前ぶれ、前兆、兆(きざ)しの謂いもあるので特に誤用とは言えない。

・「惠比須講德利の掛のとれにけり」「掛」(かけ)は徳利が「欠け」るに、商家の売り「掛け」金が取れる(回収出来る)の謂いを掛けたもので、これは「德利」(利得)という名称にも掛かっており、商売にとって縁起のよい言祝ぎの句柄となっているのである。

・「説たり」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『祝したり』とある。これで訳した。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 其角恵比須(きかくえびす)の事

 

 神田連雀町に浅草海苔を商(あきの)う富貴(ふうき)に暮しおる町人があった。

 主人は俳諧なんどを嗜みて、かの蕉門の宝井其角とも友人であった。

 毎年の恵比須講には其角も親しく招かれて御座ったが、ある年の十月二十日のこと、其角方へ一向にその招待が、これ、御座ない。

「……永年、招かれて御座ったに……今年に限ってその沙汰のなきは、これ、如何なることであろ……如何にも解せぬことじゃ……」

と、流石に鷹揚なる大兵(たいひょう)肥満の晉子(しんし)其角も、如何にも不思議に思われて、日暮れ前より立ち出でると、かの商家を訪(おとの)うた。

 すると、これ、常とは変わって何やらん、大層、店の様子がいたく淋しゅうて、恵比須講を開かんとする気配は、これ、全く御座ない。

 されば、

「……何ぞ、御座ったか?……」

と、店方の者へ尋ねたところ、

「……へぇ……それがで御座います。……今日が恵比須講の日なればこそ、それに供えんための徳利(とっくり)を女将さんが清めて濯がんとなされたところが……うっかり取り落されてしまい、大木きに欠け損じてしまいました。……ところが、これをご主人さまは、『年久しく捧げ奉って参った品が欠け損じたは、偏えに家の衰える兆しじゃ!』と……はなはだお怒りになられまして……もう、女将さんを里へ返すの何のと、これもう、以っての外の騒ぎとなってしもうたので御座います。……されば最早、恵比須祭りも何も、これ、あったもんじゃあ、御座いませぬ。……そうじゃ!……御身(おんみ)はご主人さまとも昵懇の間柄にて御座いますればこそ……何卒、この騒ぎ、治まるように、取り計らっては下さいませぬか!……」

と言うたによって、聴いた其角も大層驚き、

「――されば、ウム、仕様もあれば……一つ、短冊を出だし給え。……」

とて、矢立の筆を取ると、やおら、

  恵比須講徳利の掛のとれにけり

と、かく書いて、ご亭主に見せた。

 すると、

「……こ、これは! いや、其角先生! 面白くも言祝いで下されたものじゃ! されば! 恵比須講を致すぞ! 早よ、支度致せ!」

と、家内、俄かにぱっと明るくなってさざめきたち、妻の離縁の事なんども何処ぞへ吹き飛んでしもうて、賑やかに、目出度(と)う、何時もの通りの恵比須講と相い成った由。

 この晉子其角が認(したた)めた短冊は後、恵比須講中の祭祀の神額となって、今に「其角恵比須」と称し、伝えられておる、とのことで御座る。

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