中島敦 南洋日記 九月十九日 附 妻たか宛の告解的長文書簡
九月十九日(金) (夏島)
五時少し過起床、船は既にトラック大環礁内に入れり。在り。緑樹の島點々。驅逐艦等多し、六時半、夏島投錨、八時半上陸、支廳長、前田氏等と支廳に行く。堀氏の案内にて、公學校、國民學校を訪ふ。南貿棧橋にて、艀を待つ間にスコール。十二時本船に歸り午睡。
夜、麻雀二局。ラヂオに、ふと耳を傾くれば「明朝の最大低氣温は十六度位。明日は秋晴の良い天氣でせう」云々。東京地方の天氣豫報なり。内地は既に秋なるか、と感慨に堪へず、桓及びたかに手紙を書く、
前田氏は陸泊り。
[やぶちゃん注:「支廳」南洋諸島に置かれた南洋庁はその発足時(大正一一(一九二二)年)にはサイパン支庁(サイパン島・テニアン島・ロタ島)/ヤップ支庁(ヤップ島)/パラオ支庁(バベルダオブ島・アンガウル島)/トラック支庁(春島・夏島・水曜島)/ポナペ支庁(ポナペ島・クサイ島)/ヤルート支庁(ヤルート島)の六支庁が配された(後、昭和一八(一九四三)年十一月に東部支庁(トラック・ポナペ・ヤルート)/北部支庁(サイパン・ロタ・テニアン)/西部支庁(パラオ・ヤップ)の三支庁に統合された)。ここに出るのはトラック諸島、現在のチューク諸島の中心地であった旧の夏島、現在のトノアス島またはデュブロン島にあったトラック支庁である。
「支廳長」国立民族学博物館の学術情報リポジトリの「土方久功日記」によれば当時のパラオ支庁長は伏田弥三郎という人物であると思われる。
「桓及びたかに手紙を書く」まず桓宛のものを以下に示す。
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〇九月十九日附
[やぶちゃん注:旧全集「書簡Ⅱ」の書簡番号二九.消印はトラック島郵便局16・9・22。トラック島。葉書。]
おとといのばん は ふねの上で ニュース・えいぐわを見ました。桓と いつしよに よく いせざきちやうへ ニュースえいぐわを 見に行つたつけね。
けさ ふねが やりと四日目に みなとにつきました。トラックの夏(なつ)島といふ所です きんじよ に 春(はる)島も秋(あき)島も冬(ふゆ)島もあります。少し はなれて 日(にち)えう島、月(げつ)えう島、火(か)えう島、水えう島、木(もく)えう島、近えう島、土え島があります、をかしな名前でせう? 海には色んなさかながたくさんゐます。上から みんな見えます。水(すゐ)ぞくくわんみたいです。
こんなしまのあるさかなが一番たくさんゐます
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「センキツ」はママ。底本ではこれは「切手」にルビされてある。
次にたか宛の、視察旅行に出る九月十五日附のものから二十日附の三通を示す(三通目の二十日附の非常に長いものがこの日に書かれた書簡である)。
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〇九月十五日附
[やぶちゃん注:旧全集「書簡Ⅰ」の書簡番号一一九。消印パラオ郵便局16・9・15。南洋パラオ島コロニール第五合宿官舎。東京市世田谷区世田谷一丁目一二四 中島たか宛。葉書。]
今は、十五日午前十時。午後一時に舶に乘込みます。出帆は三時。昨日入港したパラオ丸で、お前の所から手紙でも來てゐるかと期待してゐたが、來ないのでガツカリ。八月三日から七日までの郵便は、これで來る筈だつたんだが、まあ、一昨日飛行便でカリントウが來たから、イイヤ。二三日前から、やはり旅行前の昂奮(コウフン)を(六月の終頃、こちらへ來る前の時のやうな)感じてゐるから妙なものだな。これから又、一日一日とお前達から遠ざかつて行く。途中からも繪ハガキ位は出すつもりだが、それが何時、そちらへ着くことやら。何しろ、これから東の方の島へ行くと、パラオの賑(ニギヤ)かさと便利さとが、しみじみ感じられるさうだから、全く、大變な所へ行くことになつたものだ。服裝はセビロとパナマ。横濱を出る時と上衣が違ふだけだ。(あの時は、上だけ紺だつたな)凡そ、役人らしくない、いでたちさ。天氣は上々。おぢいちやん、澄子に宜しく。タケシ、ノチヤボン元氣でゐろよ。
[やぶちゃん注:「ノチヤボン」次男の格(のぼる)の愛称。]
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〇九月十五日附
[やぶちゃん注:旧全集「書簡Ⅰ」の書簡番号一二〇。消印パラオ郵便局一六・九・一五。南洋パラオ島コロニール第五宿舎。東京市世田谷区世田谷一丁目一二四 中島たか宛。葉書。]
乘りこみ二時間前に、通りを歩いてゐると、向ふから、小さな、黑い、見たことのあるやうな女の子が來るので、よく見ると淀(ヨド)川くんさ。驚いたね。パラオ丸で横濱からヤルートのお父さんの家迄行く所で、今、一寸上陸して散歩してゐる所だとさ。僕と同じ船でヤルート迄行くことになるとは、南洋も狹いもんだね。船に乘つてから、色々と横濱の話など聞かうと思つてゐる。いい樂しみが出來たよ。カリントウ、到頭、船にのる前に喰べちまつた。
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〇九月二十日附
[やぶちゃん注:旧全集「書簡Ⅰ」の書簡番号一二三。消印トラック郵便局一六・九・二二。トラックにて。東京市世田谷区世田谷一丁目一二四 中島たか宛。封書。]
九月十五日。午後、いよいよ乘船。横濱を出る時は賑やかな見送だつたが、今度は恐しく淋しい。谷口君といふ若い友人が、荷物を持つて船まで來てくれた。これで内地へ歸るのだつたら、どんなに良からうと思つたら、サビシイ、いやーな氣特になつた。出帆。海は靜かだ。船が進むにつれて、水の上を無數の筋(スヂ)を引いて走るものがある。飛魚なんだ。飛魚が滑(くわつ)走して、それから飛ぶんだ。だが、海の眺僕の部屋は三人一室の部屋だが、客は二人しかない。勿論ベッド。センプウキが廻つてゐる。枕もとには、寐ながら本を見るための電氣も、とりつけてある。三時になると、オヤツ(冷たい紅茶。ケーキ)が出る。風呂は一人づつはいる西洋式のバス。――だが、僕は一向タノシクナイ。 本當に不思議な位だ。乘込む前は、大いに船旅を樂しむつもりでゐたのんだのに。どうにも憂ウツだ。「パラオを離れて淋しい、」なんていふんぢやない。とんでもない。パラオなんか離れたくて、しやうがないんだ。上甲板の椅子に腰を下して、ぼんやり海と室とを見てゐる。お前たち のこと、本郷町の家のこと、を考へてゐる。どうして、僕(僕たち)には自分の本當に望むことが、出來ないんだ。どうして本郷町のあの家を離れなけりやならなかつたんだ? あの家での平和な生活を、つゞけては、どうして、いけないんだ?(そりや、あの家では、冬の喘息に苦しんださ。しかし、今は、どうだ。夏でさへ、病氣に苦しんでるぢやないか)こんな風になつたのは僕の意志ぢやない。決して。そりやね、丈夫な人なら、(さうして、あと二十年ぐらゐ大丈夫生きられる自信のある人なら)二年や三年、お前達と離れて、なさけない生活(クラシ)をしても、あとで、それを取返すことができるんだから、いいさ。しかし僕には、將來どれだけ生きられるやら、まるで自信がない。それを思ふと、見榮(ミヱ)も意地もない、ただただ、お前達との平和な生活を靜かにたのしみたいといふだけの氣特になる。それが一番正直な所だのに、それだのに、オレは、今頃こんな病氣の身體をして、何のために、ウロウロと南の果(はて)をウロツイテルンだ。全く大莫迦野郎だなあ。俺は。……もう愚痴(グチ)はよさう。お前を泣かせるだけだからね。それから、何も、云はなくたつて、お前には、俺の苦しみが判つてゐてくれる筈だからね。何時だか、お前は、おれに言つたことがある。「私には、貴方が一番良く判つてゐます」つて。その時オレは「さあ、どうだかなあ!」つて言つたが、それや、お前にだつてオレの全部が解つてるとは思へないけれど、併し、他の誰よりもオレを判つてくれてゐることはタシカだね。今、ハツキりとそれを認(ミト)めるよ。
九月十六日。今日も快晴、海は大變に、をだやか。上甲板の寐椅子にねころんでウトウトしてゐると、身體までが、海と空の靑さに染まつて了ひさうだ。かういふ旅を桓にも、させてやりたいなあ。昨晩は久しぶりにラヂオが聞けた。機械一つで、隨分遠くでも聞えるものだね。羽左エ門の聲がキコヱタよ。
食事は朝夕が日本食で、晝間は洋食。中々上等だ。久しぶりで家鴨(アヒル)の炙(アブリ)肉や牛の尾の料理にありつけたよ。それから食後のリンゴも久しぶりだ。ボーイが何から何まで世話をしてくれる。風呂場の中まで、センプウキをかけてくれるぜ。自分の部屋の中に、顏を洗ふ所もある。夜、いつ迄も、ねながら、枕もとの灯で、本を讀めるのはアリガタイ、
九月十七日、今日もすこぶる平穩(へいおん)。運動は餘り、しないが、食慾はある。淀川君(特別三等にゐる)と話をしたが、やはり、横濱が戀しくてたまらぬといつてゐた。僕も同感だと言つておいた。
(思出したから書いておく。世田谷の夏ちやんには特別アイサツに行くに及ばぬと思ふ。向ふは、自分が無(ブ)作法な人間だから、こちらがちやんと挨拶(アイサツ)に出なくても、(偶然、道で會つたつてら、その時にアイサツすればいい)別に氣には、しないよ)、
コロールで喰べられなかつたものが、色々船上で、たべられるのは有難い。パン。肉類、ケーキ類、ナシ。ブドウ。リンゴ、卵、その他。晝食と夜食の時は、船長や事務長や、その他の高級船員が、僕等と一緒に食事して、色々な話をして、もてなすことになつてゐる。色々な南洋綺談をしてくれるよ。風呂は、一等船客は十四五人しかゐないので、すぐ知り合になる。風呂は一人一人、はいる時間が決つてゐる。僕は、午後四時から、はいる。運動にデッキ・ゴルフをやる人もある。輪投(ワナゲ)をする人もあるが、僕はしない。一昨日も昨日も今日も、事務長を入れて、麻雀(マアジヤン)をやつた。これがね、「旅行を終へ土産(ミヤゲ)をもつて歸つてくるとウチではお前タチ三人が歡(ヨロコ)んで迎へてくれる」といふ風な旅だつたら、どんなに良からうねえ。コロールで俺を待つものは、暗い、獨り身(ミ)の官吏生活と、冷たい同僚の眼と、そして恐らくは、病氣(或ひは不健康)と、なんだ。(横濱にゐる時は、ホンノ一寸伊勢崎町へ行つて歸つて來ても、お前と桓と、それにノチャ助までが、玄關へ迎へに出てくれたもんだがなあ!)
今年の七月以來、おれはオレでなくなつた。本當にさうなんだよ。昔のオレとは、まるで違ふ、ヘンなものになつちまつた。昔の誇(ホコリ)も自尊心も、昔の歡びもおしやべりも滑稽(コツケイ)さも、笑ひも、今迄勉強してきた色々な修業も、みんな失(な)くして了つたんだ。ホントにオレはオレでない。お前たちのよく知つてゐる中島敦(おとうちやん)ぢやない。ヘンなオカシナ、何時も沈んだ、イヤな野郎になり果てた。(また、こんな事を書いて了つた。女みたいな愚痴を。これは、誰でも心のスミツコにフタをして置くべきゴミタメみたいなもんだ。心のゴミダメを見せるのは、お前にだけだ、)
九月十八日。これで丸三日走りつゞけてゐるが、まだ島が見えない。昨夕(十七日)は七時から、甲板(カンパン)で、映畫があつた。久しぶりでニュース映畫が見られた。漫畫のないのは、殘念だつたが、文化映畫「或日の干潟(ヒガタ)」は面白かつた。それに昨晩は東京のラジオが、とてもハツキリきこえた。映畫を見、東京のラジオを聞き、のびのびと風呂(バス)に入り、冷たい紅茶など飮(の)んでゐると、まるで、太平洋上にゐることを忘れて了ひさうだ。パラオでの今迄の生活と比べると急に文明社會に飛込んだやうだ。しかし、それでゐて、オレは一向嬉しくない。麻雀をやつてゐても少しも面白くないんだ。横濱で(經濟の上からいへば、みじめに古本屋あさりをしてゐた日の方が何十倍、今より樂しかつたことか! 本當なんだ。何も面白くないんだ。俺の心は、年をとり、病苦にいためつけられて、もはや、旅行を樂しむこともできなくなつたのか?(以上午前十一時)
今、はじめて島が見えた。まるで平らな、椰子の木ばかりの島が。(午後一時)
今夜もラヂオがはつきり聞える。が、時々、濠洲(オーストラリヤ)か、フィリッピンか何處かで放送する西洋音樂も交つて聞える。將棋をさし、麻雀をする。下(クダ)らない生活!(午後十時)
九月十九日、午前六時トラック(夏島)入港。朝食後上陸。支廳と、公學校と、國民學校とに挨拶だけしておいた。(支廳の人がちやんと船迄迎へに來てくれてゐた)トラックは歸りに下船して十幾日も滯在する所だから、今日は、これ位でいいんだ。食事も船の方が上等だから、船にかへつて喰べた。海の水はがキレイで、魚のたくさんゐること! 上から、みんな游(オヨ)いでゐるのが見える。水族館のやうだ、パラオ丸のずつと高い上甲板の上から下の水を見下すと、細長い魚が何萬となく游いでゐるのが見える。サヨリださうだ。實に、まあ、澤山ゐるもんだね。このトラック諸島には、夏島(これが今日上陸した所)春島、秋島、冬島。月曜島、火曜島、水曜島……日曜島まである。をかしな名前だらう?
○熱帶の海上の夕燒雲の見事さは、一寸、口ではいへないよ。實にすばらしい見ものだ。頭の眞上の空には雲一つないのに、四方の水平線の向ふにはずらりと、日本の夏の夕立入道雲みたいな奴が、竝んで立上つてゐるんだが、その巨人(おほをとこ)みたいな、ムクムクした雲共の色が日の沈むにつれて、一刻一刻と變つて行くんだ。壯觀だね。雲共がその海のまはりをとりまいて、オレ達の船を見て何かヒソヒソ話をしてるやうな氣がするよ。その雲共の丈の高いこと! その雲の色がね、赤から桃色から、紫、青、鼠、橙色(ダイダイ)、黄色と、實(ジツ)に、微妙(ビメウ)に變化して行くんだ。時々それに虹(ニジ)なんかが、かかることもあるし、全くキレイだよ。
◎今迄の所、大體、チャンと豫定通りに進(スス)んでゐる、しかし、歸途、この船を下りて、トラック滯在となつてから、大分狂つてくるのではないかと思ふ。といふのは、僕が次にサイパン迄乘るべき船の行動がハツキリしないからだ。或ひは缺航になるかと思ふ。さうすると、トラック・サイパン間をも飛行機にするか、或ひは、トラックに一ケ月近く以上も滯在しなけするか、といふことになる。どつちにしても面白からうと、ノンキに僕は考へてゐる。もつとも、こんな島に一月も二月もゐたら、大分土人くさくなるだらう。一等船客にも色々ある。會社の重役、軍人、官吏から、興業師もゐる。この興業師のしてくれた話は面白かつた。我々の全然知らない社會の内幕話で大いに得る所があつた。重役、軍人、官吏の話は、つまらない。
九月二十日、昨夜、喫煙室でラヂオを聞いてゐると、「明朝の最低氣壓は十六度ぐらゐ、秋晴のよい天氣でせう」といつてゐるんだ。東京地方の天氣豫報なんだ。あゝ、内地は秋だなあ! と思つたね。こちらは十六度どころぢやない。年中、三十度前後だ。
パラオとヤルートとは東西千里も離れてゐるんだから、同じ時計時間では無理なんだが、それを、みんな東京時間に統一したもんだから、をかしなことになる。この船が東へ行けば行く程、夜明も日沒も段々早くなつて行く。げんにパラオと今ゐるトラックでは一時間ぐらゐ以上も違はふだらう。朝、五時少し過に起きると、もう陽がアカアカと出てゐるからね。これでヤルートへ行くと三時半頃に夜が明けちまふさうだ。(パラオと東京は大體同じ位)その代り、午後五時には、マツクラといふことになる。
昨夜は、陸上にも宿がとつてあるといふことだつたが、船の方が食事が良ささうだから、船にとまつた。久しぶりで陸で寐たいといふ人は、宿屋に寐に行つてゐる。た。今日午後出帆してボナペに向ふ。
今、まだ朝食前、朝食がすんだら、又、上陸しようかと思つてゐる。横濱の港と違つて南洋の港では、舶が棧(サン)橋に横づけになることが出來ない。大きな汽船は岸から相當離れた所に碇とまり、小さな船(ランチ。はしけ)が客を迎へに岸からやつてくるんだ。だから上陸も少し面倒だ。
今見てゐると、海の上を小さな銀白色の魚が何百か、かたまつて、しきりに飛んでゐる(一間(ケン)ぐらゐづつ)飛魚ぢやない。何か大きな魚に追はれてるんだね。
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この最後の九月二十日附の書簡は何故か、深く私の胸を打つ。ここにこそ作家中島敦がその生(なま)の叫びが、かの虎の如く、咆哮されているように感じられてならないからである。]
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