耳嚢 巻之七 加川陸奧介娘を嫁せし時の歌の事
加川陸奧介娘を嫁せし時の歌の事
わするなと人にしたがふみちの奧のけふの細布むねあわずとも
□やぶちゃん注
○前項連関:和歌譚二連発。本話は珍しく、本文なしの和歌のみの提示であるが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、以下の前書がある(正字化し、ルビも歴史的仮名遣に直した)。
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享和・文化の頃、地下(ぢげ)の歌よみと云はれ、宮方の家禮(かれい)なりし加川陸奥介娘を外へ嫁せし時詠(よ)めるよし。
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訳では特別にこれの部分を挿入して訳した。この文中の「地下」は清涼殿殿上の間に昇殿することを許されていない官人の総称、またはその家柄を指す。メッセンジャー・ボーイとして殿上人とされた六位の蔵人を除く、六位以下総ての下級官吏総てを指す。地下人。反対語は「堂上(とうしょう)」。
・「加川陸奧介」俗称香川陸奥介を名乗ったのは香川景樹の子で公卿徳大寺家に仕え、父の創始した桂園派を嗣いだ幕末の歌人香川景恒(かがわかげつね 文政六(一八二三)年~慶応元(一八六六)年)であるが、御覧の通り、時代が合わない。岩波の長谷川氏注(底本では鈴木氏は何故か注しておられない)ではこれは根岸と同時代人(但し、景樹の方が三十一も年下ではある)であった景樹本人のことと推定しておられる(但し、そこには『景樹は長門介後に肥後守』で「陸奥介」であったことはないことが示されてある)。それに従う。歌人香川景樹(明和五(一七六八)年天保一四(一八四三)年)は国鳥取藩士荒井小三次次男であったが七歳の時に父を亡くして一家離散し、母の姉の夫奥村新右衛門定賢に預けられた。幼くして和歌を清水貞固に学び、儒学にも志があった。寛政五(一七九三)年に出奔して京都に出た(この時には滝川某の娘包子を伴っており、出奔にはその恋愛が絡んでいるともされる)。苦学を続けるうち、寛政八年に二条派地下歌人で徳大寺家出仕の梅月堂香川景柄に夫婦養子入りをした。この時、名を景徳、更に景樹と改め、通称を式部と称して徳大寺家の家士となり、堂上の歌会に出席するようになる。やがて「調べ」を重んじて堂上派と相容れない新しい歌風を主張し始め、しかも景樹は「大天狗」とも称されるほどの高慢で自信過剰な振舞いをしたため、京の旧派や江戸歌壇は一斉に反発、文化元(一八〇四)年には梅月堂と離縁した(但し、香川姓を名乗り続けることが許される程度の円満な独立ではあった)。後、景樹の元には門人が次第に集まり、新しい一大勢力として桂園派を形成するに至った。文化八年には賀茂真淵の「新学」を論駁する「新学異見」を脱稿して復古主義派を攻撃、さらに文政元(一八一八)年には江戸進出も企てたが失敗に終わった。画期的といわれる歌論は小沢蘆庵の「ただこと歌」の影響を受けたもので、天地自然に根ざした本来的な誠・真情を素直に表出した時、歌は自ずから「しらべ」を持つというもので、実作もまた清新である(以上は「朝日日本歴史人物事典」の解説に拠った)。この直後に「享和・文化の頃」とあり、これは西暦一八〇一年~一八一八年になるが、「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年夏であるから、そこを下限とすると、景樹満三十三~三十八歳の時のエピソードということになる。
・「家禮」家令。皇族や華族の家筋の家で事務・会計を管理し、使用人の監督に当たった者。
・「わするなと人にしたがふみちの奧のけふの細布むねあわずとも」「わするなと」底本では「と」の右に『(よカ)』と傍注する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「わするなよ」。訳でもそれを採用した。
わするなよ人にしたがふみちの奧(く)のけふの細布(ほそぬの)むねあわずとも
「みちの奥(く)」に地名「陸奥」と「(夫婦人倫の)道」を掛ける。「けふ」は「今日」(の婚姻)と「狹布(けふ)」を掛ける。「狹布」は現代音「きょう」で、古代に於いて奥州から調・庸の代わりとして貢納された幅を狭く織った白色の麻布のことをいう。狭い布であるから「胸合はず」胸元へ届くことなく合わぬという意を、相手の夫との心(胸)がうまく「合は」ないという意を掛けてある。勝手な私の解釈を示しておく。
――忘れてはいかんぞ……妻として夫へつき従うところの道を――今日(きょう)を限りとして我が家を出でて嫁に行ったとならば――たとえ陸奥(みちのく)の狹布(きょう)のように幅狭き故に胸元で合わせることが出来ぬほどに――夫の心に対して胸内に齟齬を覚えたとしても……決してそれを面に出だいてはならぬ……凝っと耐えて堪(こら)えて夫の心に従う――それが妻の道じゃ……
■やぶちゃん現代語訳
歌人加川陸奧介(かがわむつのすけ)殿が娘を嫁した折りの歌の事
享和・文化の頃、地下(じげ)の歌詠みと言われ、宮方徳大寺家の家令となった加川陸奥介殿が、娘を外へ嫁すとなった時に、詠んだと申す和歌。
わするなよ人にしたがふみちの奧のけふの細布むねあわずとも