北條九代記 承久の乱【三】 後鳥羽院、寵愛の白拍子亀菊に摂津長江・倉橋両荘を下賜するも、義時、これを認めず
又其比(そのころ)、攝津國長江倉橋(ながえくらはし)の兩莊(りやうしやう)は、院中に近く召使はる〻白拍子龜菊に下されしを、其地頭更に開渡(あけわた)さず。龜菊深く憤りて歎きけるを、一院より關東へ仰せ付けられ、改易すべき由御沙汰あり。義時申しけるは、「地頭職の事は、上古はなかりしを、故右大將家平氏追討の勸賞(けんじやう)に、日本國の惣追捕使(そうつゐふし)に補せられ、平家追討六ヶ年の間に、國々の地頭御家人等(ら)、或は親を討(うた)れ或は子を討(うた)せ、家子(いへのこ)郎從を損(そん)ぜられ、既に忠戰の勲功に隨ひて分(わかち)賜りたる領地を、させる罪科だになからんには、義時が計(はからひ)として、改易すべきやうなし」とて、是も用ひ奉らず。
[やぶちゃん注:〈承久の乱Ⅲ 後鳥羽院、寵愛の白拍子亀菊に摂津長江・倉橋両荘を下賜するも、義時、これを認めず〉底本頭書『承久亂源(三)龜菊の領地の事』
「承久記」(底本の編者番号12のパート)の記載。
又、攝津國長江・倉橋ノ兩庄ハ、院中二近ク被二召仕一ケル白拍子龜菊ニタビタリケルヲ、其領ノ地頭、領家ヲ勿緒シケレバ、龜菊憤リ、可二改易一由被二仰下一ケレバ、權大夫申ケルハ、「地頭職ノ事ハ上古ハ無リシヲ、故右大將平家ヲ追討ノケンジヤウニ、日本國ノ惣地頭ニ被ㇾ補、平家追討六箇年ガ間、國々ノ地頭人等、或ハ子ヲウタセ、或ハ親ヲ被ㇾ打、或ハ郎從ヲ損ズ。加樣ノ勳功ニ隨ヒテ分チタビタラン者ヲ、サセル罪ダニナクシテハ、義時ガ計ヒトシテ可二改易一樣ナシ」トテ、是モ不ㇾ奉ㇾ用。
・「勿緒」は「こつちよ(こっちょ)」と読み、蔑(ないがし)ろにするの謂いで、(領有権を)あってもなきが如きもののとして軽んじること、即ち、全く無視してあけ渡さないことを言っている。
・「ケンジヤウ」本文の「勸賞」で、「くわんしやう(かんしょう)」「くわんじやう(かんじょう)」とも読み、褒美などを与えて励ますこと。褒めて引き立てることの謂い。]