日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二章 日光への旅 14 畳・日本食・郵便屋 附 郵便配達人は三度銃をぶっ放す
日本の部屋に敷いてある畳に就いては既に書いた。畳は一定の規則に従って敷きつめられる。図47は六枚畳を敷いた部屋を示している。宿屋では畳一枚に客人一人の割合なので、主人としては、一人で部屋全体を占領したがるのみならず、テーブルと椅子とを欲しがる外国人よりも、日本人の方を歓迎する。テーブルや椅子――手に入らぬ時は論外だが――には、いずれも脚に幅の広い板が打ちつけてある。そうでないと畳に穴があいて了う。加ㇾ之、外国人はコックを連れて歩くが、このコックがまた台所で広い場所を取る。日本食に慣れるには中々時間がかかる。日本料理は味も旨味も無いように思われる。お菓子でさえも味に欠けている。私は冷たい牛乳をグーッとやり度くて仕方がなかった。パン一片とバターとでもいい。だが、その他のすべての事が如何にも気持よいので、目下の処食物のことなんぞは考えていない。
我々は東京行きの郵便屋に行きあった。裸の男が、竿のさきに日本の旗を立てた、黒塗の二輪事を引っ張って、全速力で走る。このような男はちょいちょい交代し、馬よりも早い(図48)。
[やぶちゃん注:あまり知られていないが、当時の郵便配達人は拳銃(郵便物保護銃と呼称した)を所持していた。郵政当局は郵便物保護のために「郵便行嚢逓送ノ際郵便物ヲ掠奪シ脚夫ヲ殺傷致候賊徒往々有之」という危険から郵便物を守ることを目的として「短銃取扱規則」という規則を制定、短銃四百丁を明治六(一八七一)年に購入している。なお、この制度がなくなったのは戦後のことであって昭和二四(一九四九)年に逓信省が郵政省と電気通信省に分離された際、郵便物保護銃制度も廃止されたようである。明治六年から数えて実に七十六年目、六十四年前までは(少なくとも制度上は)郵便配達人は拳銃所持が可であったというのは驚きである(個人サイト「いんちきやかた 研究分館」の「郵便物保護銃」に拠ったが、ウィキの「拳銃」には明治六(一八七三)年に『欧州の制度にならってフランス製の回転式拳銃を購入し、配達夫の護身用に用い』たとある。また『これは警察官がサーベルを持つようになる』四年前であったともある。恐るべし!――郵便配達人は三度銃をぶっ放す――という次第……]
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