噴水の上に眠るものの聲 大手拓次
噴水の上に眠るものの聲
ひとつの言葉を抱くといふことは、ものの頂を走りながら、ものの底をあゆみゆくことである。
ひとつの言葉におぼれて、そのなかに火をともすことは、とりもなほさず、窓わくのなかに朝と夕の鳥のさへづりを生きのままに縫箔することである。
ひとつの言葉に、もえあがる全存在を髣髴させることは、はるかな神の呼吸にかよふ刹那である。
ひとつの言葉を聽くことは、むらがる雨のおとを聽くことである。數限りない音と色と姿とけはひとを身にせまるのである。
ひとつの言葉に舌をつけることは、おそろしい鐘のねの渦卷に心をひたすことである。空々寂々、ただひそかに逃れんとあせるばかりである。
ひとつの言葉に身を投げかけることは、恰も草木の生長の貌である。そこに芽はひらき、葉はのびあがり、いそいそと地に乳をもとめるのである。この幸福は無限の芳香をもつ。
ひとつの言葉を眺めれば、あまたの人の顏であり、姿であり、身振であり、そして消えてゆかうとするあらゆるものゝ別れである。含まれたる情熱の器は、細い葉のそよぎにゆらめいて、現を夢ににほはせるのである。
ひとつの言葉に觸れることは、うぶ毛の光るももいろの少女の肌にふるへる指を濡れさせることである。指はにほひをきゝ、指はときめきを傳へ、指はあらしを感じ、指はまぼろしをつくり、指は焰をあふり、指はさまざまの姿態にあふれる思ひを背負ひ、指は小徑にすゝり泣き、なほさらに指は芬香の壺にふかぶかと沈みてあがき、壺のやうな執著のころもに自らを失ふのである。
ひとつの言葉を嗅ぐことは、花園のさまよふ蜂となることである。觀念は指をきり、わきたつ噴水に雨をふらし、をののく曙は闇のなかに身をひるがへし、やはやはとし、すべてはほのかなあかるみの流れに身ぶるひをしてとびたつのである。
ひとつの言葉は、影となり光となり、漾うてはとどまらず、うそぶきをうみ、裂かれては浮み、おそひかかる力の放散に花をおしひらかせる。
ひとつの言葉は空中に輪をゑがいて星くづをふくみ、つぶさにそのひびきをつたへ、ゆふべのおとづれを紡ぐのである。
ひとつの言葉は草の葉である。その上の螢である。その光である。光のなかの色である。色のまばたきである。まばたきの命である。消なば消ぬがのたはむれに似てゆらびく遠い意志である。
ひとつの言葉はしたたりおちる木の實であり、その殼であり、その果肉であり、その核であり、その汁である。さうして、木の實の持つすべてのうるほひであり、重みであり、動きであり、ほのほであり、移り氣である。
ひとつの言葉を釣らんとするには、まづ倦怠の餌を月光のなかに投じ、ひとすぢの絲のうへをわたつてゆかなければならぬ。そのあやふさは祈りである。永遠の窓はそこにひらかれる。
ひとつの言葉は跫音である。くさむらのなかにこもる女の跫音である。とほのいては消えがてに、またちかづくみづ色の跫音である。そのよわよわしさは、ながれる蝶のはねである。おさへようとすればくづれてしまふ果敢なさである。
ひとつの言葉はみえざるほのほである。闇である。明るみである。眠りである。ささやきである。圓である。球體である。處女である。絲につながれた魚である。咲かうとする白いつぼみである。常春の年齡である。流れであり、風であり、丘であり、吹きならす口笛の蜘蛛である。
ひとつの言葉にひとつの言葉をつなぐことは花であり、笑ひであり、みとのまぐはひである。白い言葉と黑い言葉とをつなぎ、黄色い言葉と黑い言葉とをつなぎ、靑の言葉と赤の言葉とを、みどりの言葉と黑い言葉とを、空色の言葉と淡紅色の言葉とをつなぎ、或は朝の言葉と夜の言葉とをつなぎ、晝の言葉と夕の言葉とをむすび、春の言葉と夏の言葉とを、善と惡との言葉を、美と醜との言葉を、天と地との言葉を、南と北との言葉を、神と惡魔との言葉を、可見の言葉と不可見の言葉とを、近き言葉と遠き言葉とを、表と裏との言葉を、水と山との言葉を、指と胸との言葉を、手と足との言葉を、夢と空との言葉を、火と岩との言葉を、驚きと竦みとの言葉を、動と不動の言葉を、崩壞と建設の言葉を……つなぎ合せ、結びあはせて、その色彩と音調と感觸とあらゆる混迷のなかに手探りするいんいんたる微妙の世界の開花。
まことに言葉はひとつの生き物である。それは小兒の肌ざはりである。やはらかく、あたたかく、なめらかに、ふしぎにうごめき、もりあがり、けむりたち、びよびよとしてとどまらず、こゑをしのび、ほほゑみをかくし、なまなまとして夢をはらみ、あをくはなやぎ、ほそくしなやかに、風のやうにかすかにみだれ、よびかはし、よりかかり、もたれかかり、夜毎にふくらみ、ほのかに赤らみ、すべすべとしてねばり、はねかへり、ぴたぴたと吸ひつき、絶えず生長し、ひかりかがやき、よろこびを吹き、感じやすく、響きやすく、ことごとくの音をきき色をうつし、時とともにとびさる感情の繪をゑがき、日とともに新しく、唄の森林をはびこらせる。
ひとつの言葉をえらぶにあたり、私は自らの天眞にふるへつつ、六つの指を用ゐる。すなはち、視覺の指、聽覺の指、嗅覺の指、味覺の指、觸覺の指、温覺の指である。さらに、私はあまたの見えざる指を用ゐる。たとへば年齡の指、方角の指、性の指、季節の指、時間の指、祖先の指、思想の指、微風の指、透明な毛髮の指、情慾の指、飢渇の指、紫色の病氣の指、遠景の指、統覺の指、感情の生血の指、合掌の指、神格性の指、縹渺の指、とぎすまされてめんめんと燃える指、水をくぐる釣針の指、毒草の指、なりひびく瑪瑙の指、馬の指、蛇の指、蛙の指、犬の指、きりぎりすの指、螢の指、鴉の指、蘆の葉の指、おじぎさうの指、月光の指、太陽のかげの指、地面の指、空間の指、雲の指、木立の指、流れの指、黄金の指、銀の指……指。私の肉體をめぐる限りない物象の香氣の幕に魅せられて、これらの指といふ指はむらがりたち、ひとつの言葉の選びに向ふのである。その白熱帶は無心の勤行である。
[やぶちゃん注:第六連の「いそいそ」の後半は底本では踊り字「〱」。
第八連の「芬香」は「ふんかう(ふんこう)」と読む。よい匂い。芳香に同義。
第十二連の「ゆらびく」は「搖ら曳く」で、ゆれて棚引くの意。
第十三連と第十四連は底本では行空きなしで連結しているが、諸本を参照に分離した。
第十七連の「淡紅色」には、思潮社版及び岩波版では「ときいろ」とルビが振られている。また、同連の太字「いんいん」は底本では傍点「ヽ」である。
最終第十九連の「嗅覺の指、味覺の指、」は底本では「嗅覺の指味覺の指、」となっている。諸本と校合、脱字として訂した。]