春の夜や盥を捨る町はづれ 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
春の夜や盥(たらひ)を捨る町はづれ
生暖かく、朧ろに曇った春の宵。とある裏町に濁つた溝川が流れて居る。そこへどこかの貧しい女が來て、盥を捨てて行つたといふのである。裏町によく見る風物で、何の奇もない市中風景の一角だが、そこを捉へて春夜の生ぬるく霞んだ空氣を、市中の空一體に感觸させる技巧は、さすがに妙手と言ふべきである。蕪村の句には、かうした裏町の風物を敍したものが特に多く、かつ概ね秀れて居る。それは多分、蕪村自身が窮乏して居り、終年裏町の侘住ひをして居た爲であらう。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。]