愛戀する惡の華 ―逸見亨におくりて― 大手拓次 (やぶちゃん恣意的表示変更版)
愛戀する惡の華
―逸見享におくりて―
泉のごとく永遠の幻想を涌出し、淸淨無比たる跪拜の涙をさそふものは、妖艷なる惡の華よりたちのぼる一道の香氣である。その香氣は縷縷としてひびきを鳴らし、白顏なる死の面上にたつ吾等の肉身に悠久の生命をあたへる。
みたまへ、
われらの愛戀する惡の華は、地獄の花、天國の花、人閒の花、神の花、人倫の花、藝術の花、
しかして、涙の花、愛の花、惠みの花、悦びの花、熱の花、力の花、
また闇の花、光明の花、苦悶の花、享樂の花、擾亂の花、平和の花、破壞の花、創造の花、
われらの同じく美しきこの惡の華を愛戀する思ひ若き人々よ、したしく手を結んで、この惡の華のさんらんたる藝術の園(その)にわれらの白い足を入れようではありませんか。
わたしの手をきつて下さい。
わたしの腕をきつて下さい。
わたしの足をきつて下さい。
さうするとき、
銀色の瞳はあつたかに、ゆるやかになりだします。
さうざうしい血の海から、ほそくすんなりとのびあがつて咲く惡の華は、
美しさかぎりなく、
神のベエゼのなかにその花粉をちらします。
[やぶちゃん注:六段落目「われらの同じく美しきこの惡の華を愛戀する思ひ若き人々よ、したしく手を結んで、この惡の華のさんらんたる藝術の園(その)にわれらの白い足を入れようではありませんか。」の「この惡の華のさんらんたる藝術の園」の「この」は底本では「二の」となっている。これでは意味も不通であり、見るからに誤植が疑われる。唯一これを採録している思潮社版「大手拓次詩集」によって訂した。
また、次の「わたしの手をきつて下さい。/わたしの腕をきつて下さい。/わたしの足をきつて下さい。」は底本では明らかに有意な二字下げで、そこで「491」頁が終わっており、頁を捲って「462」頁では、明らかに二字下げの位置から「さうするとき、」以下の五行が分かち書きになっている。ところが前に掲げた思潮社版ではこれらが総て一字下げ位置まで上がって、前の散文と変わらぬ書式で続いている。そして、ここが大事な(私が恣意的に変更を加えた)ところであるが、「わたしの足をきつて下さい。」と「さうするとき、」の間に行空けはない。確かに、「わたしの足をきつて下さい。」と「さうするとき、」は他の頁の版組から考えると「わたしの足をきつて下さい。」は「491」頁の最終行であり、「さうするとき、」は「492」頁の第一行目に当たっていることが分かる。しかし、これは単に物理的な見かけの位置であって、私は詩想からもこの間に行空きが存在するとしてしかこの詩を読めない(読まない)。しかも改頁の効果がそれを増幅する。恐らくは私の勝手な恣意的な仕儀としてこれは認められないであろうが、私は敢えて私が読む印象をここでは大事にして示したいと考えた。大方の御批判を俟つものである。
「逸見享」大手拓次の盟友で本詩集の編者・装幀者でもある画家逸見享(へんみたかし 明治二八(一八九五)年~昭和一九(一九四四)年)。和歌山県出身。中央大学卒業後、ライオン歯磨意匠部に勤務する傍ら、木版画を始め、大正八(一九一九)年の第一回日本創作版画協会展に入選、日本版画協会でも活躍した。「新東京百景」を分担制作、友人であった大手拓次の詩集の装丁・編集も彼が手がけた(講談社「日本人名大辞典」の解説に拠る)。本詩集の編集・装幀も彼の手になる。]