片町に更紗染むるや春の風 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
片町に更紗(さらさ)染むるや春の風
町の片側に紺屋があつて、店先の往來で現に更紗を染めて居るといふ句であるが、印象としては、既に染めた更紗を、乾燥の爲に往來へ張り出して居ると解すべきであらう。赤や靑やの派手な色をした更紗が、春風の中に艷かしく吹かれて居るこの情景の背後には、如何にも蕪村らしい抒情詩があり、春の日の若い惱みを感ずるところの、ロマネスクの詩情が溢れて居る。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。底本では句の中七は「更紗(さらさ)染めるや」であるが、蕪村の原句で訂した。更紗はインド起源の木綿地の文様染め製品で、本邦では室町以降、明との勘合貿易によって齎され、茶人によって名物裂(めいぶつぎれ)の一種として茶道具の包みや煙草入れなどに用いられ、十七世紀以降は出島貿易で輸入された。安永七(一七七八)年には更紗の図案集成「佐良紗便覧」が刊行されており、茶人や武家などの富裕層に独占されていた更紗が、この時代にはかなり広く普及し始めていたことが窺われ、近世の風俗図屏風などには更紗の衣装を着用した人物が描かれたものが散見される(以上はウィキの「更紗」に拠った)。]

