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2013/10/19

耳嚢 巻之七 古錢を愛する事

 古錢を愛する事

 

 古き事する色々の内、古き人の書を愛する迚、古錢を愛する者あり。さる謂(いはれ)もありけるなれど、愛せざる心よりは可笑(わらふべし)。予許(よがもとへ)へ來(きたれ)る知れる者谷の何某、古錢多く集め、日本錢の内大德通寶といえるは當時天下に六文の錢の由、貯へて人にも見せける由。彼(かの)人の物語りに、古錢抔當時商ふもの聞(きき)も及ぶまじけれど、江戸町中に右古錢を商賣取遣(あきなひうりとりや)りして豐(ゆたか)にくらせる者有(ある)也と語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:記載内容には特に連関を感じさせないが、前及び前の前の書き出しの「予許へ來る」というやや寸詰まりの表現特徴の共通性から、これら三つが同時期に一遍に書かれたものであることが窺われるように思われる。

・「古錢を愛する事」表題の直下には鈴木氏の『(目次ニハ「古錢を愛する人の事」トス)』という割注がある。

・「古錢多く集め」岩波版の長谷川氏注に、宝暦頃(一七五一年~一七六三年)から『古銭を愛好し珍奇の銭の収集の風が盛んで、にせの古銭作りまで行われた』とある。

・「大德通寶」大徳は中国は元の成宗(テムル)の治世で用いられた元号で西暦一二九七年~一三〇七年に相当する。岩波版の長谷川氏注には、幕臣で北方探検家であった近藤正斎明和八(一七七一)年~文政一二(一八二九)年)が著わした本格的な古銭蒐集関連書の濫觴とされる「銭録」『に「倭存唐佚銭」として大徳通宝あり』と記しておられる。まず、この近藤正斎という人物であるが、名は守重、通称近藤重蔵(正斎は号)で。寛政七(一七九五)年~寛政九(一七九七)年に長崎奉行出役として海外知識を深め、蝦夷地警衛の重要性を幕府に提言、後に目付渡辺久蔵らの蝦夷地視察の一行に加わって蝦夷地御用掛配下に属し、数回に亙って蝦夷地・千島方面を探検、特に高田屋嘉兵衛の協力を得てエトロフ航路を開き、享和二(一八〇二)年にはエトロフ島にあったロシアの標柱を廃して「大日本恵登呂府」の木標を立てるなど、ロシア南下政策に対する北辺防備及び開拓に尽力(ここまでは主に平凡社「世界大百科事典」に拠る)、文化五(一八〇八)年には江戸城紅葉山文庫の書物奉行となったが、自信過剰で豪胆な性格が見咎められ、文政二(一八一九)年に大坂勤番弓矢奉行に左遷、文政四(一八二一)年には小普請入差控を命じられて江戸滝ノ川村に閉居、悪いことに文政九(一八二六)年に長男近藤富蔵が町民を殺害して八丈島に流罪となったのに連座して近江国大溝藩にお預けとなって、そのまま死去、死後三十一年も経った万延元(一八六〇)年に赦免されるという波乱万丈の人生を送った人物である(ここはウィキの「近藤重蔵」に拠る)。彼はまさに当時でも珍しい貨幣研究家兼収集家でもあったらしいが、長谷川氏の示す「銭録」という書物は、浩泉丸氏の古銭サイト内の「新寛永通寶分類譜【泉家・収集家覚書】」によれば、古銭収集家の間では幻の名著とされているもので、日本貨幣図史ともいうべき性質の書ながら、明治三九(一九〇六)年に刊行されるまで全く無名の資料で、しかもこの書は「寛永銭録」として編集が始められた経緯があり、再発見された当時は寛文期から享保年間の項が欠落していていたため、大正年間に浅草の古書店で欠落個所が見つかり、古銭蒐集家によって売買されるまで全容すら知られておらず、しかも一般に刊行されたものでもないために現在でも稀覯本で、コレクターでさえ実見することはまずないというまさに幻の書であるらしい。因みに、当該リンク先によればこの近藤正斎、身の丈六尺を超える大男で、体力・記憶力とも抜群に優れていた超人だったとあり、他にも彼の興味深い事蹟が満載で必見である。やや前置きが長くなったが、大徳通宝はこの本話にもある通り、希少というより、その多くがかなり怪しげなもの(まさに古銭として捏造された贋金)であるようだ。中国古銭の収集家の個人サイト「謎の珍品古銭」にまさにその大徳通宝の「実物」画像があるが、サイト主御自身が『すでにオモチャの領域』『無知の人がボロ古銭を元に真似して作った残念な作品』、数枚の良品もあるが多くは『何か怪しい』『イケない複製かも知れ』ない、『拓本を元に作ったイケない品物の様な気が』する、頁末には『真贋は永遠の謎』とまで語られているからである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 古銭を愛する好事家の事

 

 古きものを趣向せること、これいろいろと御座る中にても、古き人の書体を愛すると申して、その彫琢の残れる古銭を愛する者が御座る。

 そうした趣味嗜好と申すものは、それなりに各人の謂われが、これ、御座ろうものなれど、そうしたものにとんと愛着の湧かぬ私のような者から見れば、これ、失礼ながら、お嗤(わら)い以外の何ものでも御座るまいて。……

……さても、私の元へ来たれる者の中の、谷何某(なにがし)と申す御仁、これ、古銭を多く蒐(あつ)めて御座るが、日本国に今ある古銭の内に「大德通宝」と申すもの、これ、現今、天下にたったの六枚しかない銭の由にて、谷殿は何と、これを数枚も貯えておられ、同好好事の人々にもそれを見せて御座る由。

 その谷殿の物語りに、

「……根岸殿などは、古銭なんどと申すもの、当今、商う者がおるとは、これとんと、聞きも及ばざることとは存じますがのぅ……実は江戸市中には、こうした古銭を商売として取引致いては、まんず、大金(おおがね)を得て豊かに暮らしおる者も、これおるので御座る。……」

とのことでは御座ったよ。……まあ、そんなことも、これ、あっても不思議ではない世の中では、御座るのぅ……♪ふふふ♪

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