二ひきの幽靈 大手拓次
二ひきの幽靈
黑の黄との交つてる鳥の毛のやうな林のなかにうごめいてるものがある。呼吸がミモザの花の香のやうにもつれて空にあがる。誰が見ても之は分らないのだ。誰でも感ずることも出來ないのだ。誰でもそこに興味を起すこともないのだ。それは平凡で、ありふれた、世の常の事にすぎないからだ。誰でもかひなでの魂ばかり持つてるものだから、ずんずんと通りすぎて行くのだ。路行く人々はおどけた話に興じながら老いた馬の背中によろよろとゆられて、知らず知らずのうちに陷穽の美しく飾つた入口の前へ來て動けなくなるのだ。可笑しい有樣になつて、丁度蟲かなんぞのやうに匍(は)ひまはつてゐるが、さてなかなか思ふやうに足も動かない手も動かない、頭は勿論働かないでだらけてゐる。聲はしはがれてしまつて腐つた木馬の咆えるやうだ。
わたしはこんな人を見るとあはれまずにはゐられなくなる。けれど此の人々は一向に不思議も何にも知らないかのやうに、どれも假面のやうに平氣の固い顏をしてゐる。そんな妙にこはばつた顏を見ると、なぐつてやりたくなるが、又その眼が一種の鬱悶を湛へてゐるやうで、それを打たうとする私自身の魂が舞ひ上つて後の方へ翔けり去る。
しばらくすると、殷殷と羽打の響をまきちらしながら、もりかへしてくる。ぐるぐると舞ひめぐつて顏をかくした。
今度は翼の空鳴(からな)りが聞える。聞える。
翼の幻影が環舞ひをする。
幻影が消える。幻影が消える。
黑曜石のやうに光る珠が驟雨のやうに降つて來た。
しつかりとした死骸の骨がかちかちと鳴るのが聞えはじめた。
わたしは、此の時に歡喜の頂上に達して人生を腹のなかに吸ひ込んだ。
[やぶちゃん注:「かひなで」は「搔い撫で」で、表面を撫ぜただけの、ものの深奥の核心を知らぬこと、通り一遍の意であると思われるが、その場合は本来がこれは「掻き撫で」の音変化であるから「かいなで」が正しい。思潮社版では正しく「かいなで」となっている。]
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