春の海終日のたりのたりかな 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
だれも知つてる名句であるが、のたりのたりといふ言葉の音韻が、浪の長閑な印象をよく表現し、ひねもすといふ語のゆつたりとした語韻と合つて、音象的に非常に強く利いてるのである。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。太字「のたりのたり」及び「ひねもす」は底本では傍点「ヽ」。]
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春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
だれも知つてる名句であるが、のたりのたりといふ言葉の音韻が、浪の長閑な印象をよく表現し、ひねもすといふ語のゆつたりとした語韻と合つて、音象的に非常に強く利いてるのである。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。太字「のたりのたり」及び「ひねもす」は底本では傍点「ヽ」。]