日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 2 日光街道点描2 お歯黒のこと
磨き上げた黒い歯を持つ既婚の婦人連は、外国人にとってぞっとする程驚く可きものである。最初に黒磨料をつける時、彼等は色がよくしみ込むようにしばらく唇を離している。このように唇を引き離していることはやがて癖になる。とにかく、彼等はめったに唇を閉じていない。若い男が扇子を持ち出して、我々に名前を書いてくれといった。私が私の分に虫や見を沢山書いてやったら、彼は大いによろこんで、返礼に菓子を一袋呉れた。砂糖漬の杏(プラム)はうまかったが、他の砂糖菓子は何等の味もしないので、外国人にはうまいとは思われぬ。
[やぶちゃん注:「黒磨料」ここの原文は“When the blackening is first applied they keep their lips apart for
a while that the color may set.”。「黒磨料」はこれで「おはぐろ」と訓ずる当て字であるが、習慣も遠くなった今は「お歯黒」(「鉄漿(おはぐろ)」もあるが)を用いた方が現代の読者にはすんなり読める。
「このように唇を引き離していることはやがて癖になる。とにかく、彼等はめったに唇を閉じていない」原文は“Thus holding the lips apart becomes a habit; at all events, they are
rarely seen with the lips closed.”であるが、このモースの観察は恰もお歯黒を附ける習慣から、日本人女性は唇を閉じないようになってしまったという形態学的推論をしているとしか読めない。しかしこれは、日本人を含む東洋人に非常に多く見られる「受け口」(歯科学で言う不正咬合の一形態である下顎前突症。噛み合わせたときに下顎にある歯全体が上顎の対応位置の歯全体より前方に突出していること。しゃくれ・反対咬合とも言う。見た目上の特徴としては下唇が上唇よりも明らかに前にあって、常に口を意識的に半開きにしているように見える)を誤認したもののように私には読める。この反対咬合は欧米では非常に珍しい症状であるが、東洋系人種では極めて一般的に見られる不正咬合で、欧米の白人の場合は人種的に目(眼窩)が大きく鼻梁が高い特徴を持ち、顔面の中央部の発達が良好であるために反対咬合になりにくいが、東洋人では概してこの部分の発達が少し弱いタイプが多く、この症状が出易いと考えられている(ここはウィキの「下顎前突症」及び「洗足スクエア歯科医院」公式サイトの「症例紹介」の「典型的な骨格性反対咬合の矯正治療例(幼児期からの治療)」にある反対咬合の記載を参照した)。
「砂糖漬の杏(プラム)」原文“The sugar plums”。但し、本当にアンズ Prunus armeniaca なのかどうかはちょっと疑問な気がする。
「他の砂糖菓子は何等の味もしない」これは落雁を誤認したものではあるまいか?]
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