春 萩原朔太郎 (「春の芽生」初出)
春
私は私の腐蝕した肉體にさよならをした
そしてあたらしく出來あがつた胴體からは
あたらしい手足の芽生が生えた
それらは實にちつぽけな
あるかないかも知れないぐらひの芽生の子供たちだ
それがこんな麗らかの春の日になり
からだ中でぴよぴよと鳴いてゐる
かはいらしい手足の芽生たちが
さよなら
さよなら
さよなら
と言つてゐる
おお いとしげな私の新芽よ
はぢきれる細胞よ
いまいつさいのものに別れを告げ
ずいぶん愉快になり
きらきらする芝生の上で
生あたらしい人間の皮膚のうへで
てんでに春のポルカを踊る時だ。
三月十七日
[やぶちゃん注:『詩篇』第一巻第一号(大正六(一九一七)年十二月)掲載。「ぐらひ」「はぢきれる」「ずいぶん」の表記はママ。次に示す大正一二(一九二三)年七月新潮社刊の詩集「蝶を夢む」に所収する「春の芽生」の初出形である。
春の芽生
私は私の腐蝕した肉體にさよならをした
そしてあたらしくできあがつた胴體からは
あたらしい手足の芽生が生えた
それらはじつにちつぽけな
あるかないかも知れないぐらゐの芽生の子供たちだ
それがこんな麗らかの春の日になり
からだ中でぴよぴよと鳴いてゐる
かはいらしい手足の芽生たちが
さよなら、さよなら、さよなら、と言つてゐる。
おおいとしげな私の新芽よ
はちきれる細胞よ
いま過去のいつさいのものに別れを告げ
ずゐぶん愉快になり
太陽のきらきらする芝生の上で
なまあたらしい人間の皮膚の上で
てんでに春のぽるかを踊るときだ。
やはり私は圧倒的に初出にこそ内在律は生きていると思う。]

