日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第九章 大学の仕事 11 日本の祭り
今夜、何かの祭礼がある。私は一時間あまりも往来に立って、特に一時的に建設された舞台の上で行われる無言劇を、陽気に見ている群衆を見た。これを楽んでいる問に、色の淡い提灯を持った子供達が車を二台、引張って来た。車は、乱暴に板でつくり上げた粗末な二輪車で、子供ならではやらぬ調子で太鼓を叩き、叫び、笑う子供達で一杯つまっていた。その上部の枠組は、紙の人形、色布、沢山の提灯(ちょうちん)等で、念入りに装飾してあった。車が人波にもまれて過ぎ行く時、私は辛じて、その外見の概念丈を得ることが出来た(図230)。大人も数名、車をしっかりさせる為か、方向をつける為かについて行った。子供が蟻のように群れ、人が皆笑い叫んでいる光景は、まことに爽快であった。日本はたしかに子供の天国である。そして、うれしいことには、この種の集りのどれでも、また如何なる時にでも、大人が一緒になって遊ぶ。小さな子供も、提灯で小さな車をかざり立て、大きな車の真似をしてそれを町中引き廻し、そして彼等のマツリ、即ち祭礼をする。図231は、子供がマツリ車をつくろうとした企てを写生したものであるが、彼等はこれで、あたかも大きな車を引いているのと同様、うれしがっていた。竹竿からさがっている提灯は、非常に奇麗な色の紙で出来ていて、この車を引いて廻ると、すべての物が踊り、そしてビョコピョコ動いた。また、先端に紙を切りぬいてつくつた大きな蝶々をつけた、長い竹竿を持った子供もいた。子供が風に向って走ると、蝶はへらへらするように出来ている(図232)。
[やぶちゃん注:先の神嘗祭(九月十七日)と次の段の冒頭、「九月二十一日」に挟まれていることが一つのヒントになる。私は祭りが苦手(好きでない。そういう人間も世の中にはいるとごろうじろ)ので如何ともし難く、ネット上の情報から類推するしかないのであるが、まず、冒頭でモースが「私は一時間あまりも往来に立って……群衆を見た」とあることから、宿舎である加賀屋敷(東大敷地内)から程遠くない位置であると推理出来る。そこで本郷周辺の祭礼を調べて見ると、この日時で、山車(だし)が出る(それも子供用のものが出る以上は、本格的な山車が出る)という大きな祭りは、東京大学の敷地北に位置する根津神社の、江戸三大祭の一つとされる九月例大祭神賑(しんしん/かみにぎわい)行事 ではないかと推理した。現在、この祭礼は通常、九月十七日から十八日にかけて行われてもいるからである(明治十年にこの時期に行っていたかどうかは確認出来ない)。私の推理が間違っているならば、祭り好きのお方は直にお分かりになるであろう。ご連絡をお待ち申し上げる。
なお、この後に一行空けがある。原文でも同様。]