日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 7 元祖肩揉み機 / 紙幣のこと
先日私は曲げた竹の一端に、大きな木の玉をつけた、奇妙な品を売っているのを見た。どう考えても判らぬので、売っている男にそれが何であるかを聞くと、彼は微笑しながら鸞曲線を肩越しに持ち、それを前後に動して、玉で文字通り自分の背中を叩いて見せた(図253)。このたたくことは、リューマチスにいいとされている。そして私は屢々、小さな子供が両方の拳固で、老人の背中を叩いているのを見る。この簡単な工夫によって、人は自分自身で背中を叩くことが出来、同時にある程度の運動にもなる。
紙幣を出す時、その辺(へり)が極めて僅かでも裂けていると、文句をいわれる。その結果、裂けた紙幣はごく少ししか流通していない。事実、折目の所がちょっと裂けたのを除いては、皆無である。用紙は我々のよりも厚く、もっとすべっこいように思われ、そして幾分よごれはしても必ず無瑕(むきず)で、我国の紙幣のように、すりへらされた不潔な状態を呈したりしない。これは下層民が、紙幣というような額の大きい金銭を取扱わぬからかも知れないが、日本人が奇麗好きだということも、原因しているであろう。
[やぶちゃん注:明治一〇(一八七七)年に一般に流通していた紙幣は「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二章 日光への旅 3 旅つれづれ」の注を参照されたい。但し、今回調べて見ると、これとは別に明治一〇年当時は「国立銀行紙幣」というものが同時に使用されていたことが分かった。これは政府紙幣の回収と殖産興業資金の供給を図るために、民間に高まった銀行設立の機運に合わせて政府が民間銀行から明治六(一八七三)年八月から発行させた金貨と兌換出来る兌換銀行券を指す。但し、「国立銀行」と言うものの、これはアメリカの制度に倣って明治五年に制定された「国立銀行条例」に基づいて設置された民間銀行を指す。こうした国立銀行は当初四行が設立され、その後明治九(一八七六)年の条例改正により事実上、不換紙幣の発行が認められたことに伴って、銀行数は急増、明治一二(一八七九)年末には全国で百五十三行を数えるに至った。これらの各銀行の発行した国立銀行紙幣は、総て同形式で発行者名のみが異なったものであった。なお、紙幣の原画は日本で作成したが、印刷はアメリカに依頼している。券種は一円・五円・十円・二十円であった。この国立銀行紙幣の部分はChigasaki ・W・S氏のサイト「近現代・日本のお金」の「明治期のお金(2)」に拠った。リンク先では実際に紙幣の画像や詳細データが見られる。]


