中島敦 南洋日記 十月十八日
十月十八日(土) 曇後雨、
靖國神社臨時大祭。
北西離島行オジャンとなりて、すつかり失望、退屈なり。朝例によつて公學校に行き椰子水をのみ、ミクロネシア民族誌を借出す。一日中閲讀。午後少時散歩。
[やぶちゃん注:「靖國神社臨時大祭」靖国神社は明治二(一八六九)年に明治天皇の勅許による軍務官達(後に内務省に人事の所管が移ったが陸軍省及び海軍省が祭事は統括した)により東京招魂社を建てたことを創建とするが、その濫觴は、戊辰戦争終戦後の慶応四(一八六八)年に東征大総督有栖川宮熾仁親王が戦没した官軍(朝廷方)将校の招魂祭を江戸城西丸広間において斎行したり、同年中、太政官布告で京都東山(現在の京都市東山区)に戦死者を祀ることが命ぜられたり(現在の京都霊山護国神社)、京都の河東操錬場において神祇官による嘉永六(一八五三)年以降の殉国者を慰霊する祭典が行われる等の幕末維新期の戦没者を慰霊顕彰する動きが活発化、その為の施設である招魂社創立の動きも各地で起きていたが、それらを背景に大村益次郎が東京に招魂社を創建することを献策した結果の勅許建立であった。後の明治一二(一八七九)年には靖国神社に改称した。「臨時大祭」というのは戦没者の合祀を行う祭儀で、昭和一二(一九三七)年の盧溝橋事件から始まっていた日中戦争の軍属戦没者の合祀であろう。
「北西離島行オジャンとなりて、すつかり失望、退屈なり」敦のそれは公務としてではなく、まさに個人的な南洋幻想に基づく現実逃避の願望でもあったことがはっきりと窺われる。
「ミクロネシア民族誌」松岡静雄著岡書院昭和二(一九二七)年刊。松岡静雄(明治一一(一八七八)年~昭和一一(一九三六)年)は海軍軍人(最終階級海軍大佐)で言語学・民族学者で南洋研究の先覚者。本書は南方民族学研究の優れた著作として、後世高く評価されることとなった。平間洋一氏のサイト内の「松岡静雄―南洋研究の先覚者」に詳しい(リンク先では生年を明治十二年とされておられるが、人名事典その他ネット上のデータで示した)。]
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