浪と無明 萩原朔太郎
浪と無明
無明は浪のやうなものだ。生活の物寂しい海の面で、寄せてはくだけくだけてはまたうち寄せ來る。ああまた引き去り高まり來る情慾の浪、意志の浪、邪念の浪、何といふこともない暗愁の浪、浪、浪、浪、浪。げにこの寂しい眺望こそは、曇天の暗い海の面で、いつも憂欝に單調な響を繰りかへす。されば此所の海邊を過ぎて、かの遠く行く砂丘の足跡を踏み行かうよ。佛陀の寂しい時計に映る、自然の、海洋の、永遠の時間を思惟しやうよ。いま暮色ある海の面に、寄せてはくだけ、くだけてはまた寄せ來る、無明のほの白い浪を眺める。しぜんに悲しく、憂ひくづるる濱邊の心ら。
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年四月アルス刊のアフォリズム集「新しき欲情」の「第一放射線」より。「74」のナンバーを持つ。「思惟しやうよ」の「や」はママ。後に後、詩集「宿命」(昭和一四(一九二九)年創元社刊)に再録された際に、
邪念の浪、→邪念の浪。
思惟しやうよ。→思惟しようよ。
となり、更に掉尾が、
しぜんに悲しく、憂ひくづるる濱邊の心ら。→もの皆悲しく、憂ひにくづるる濱邊の心ら。
と大きく改変された。]

