卓上の鮓に目寒し觀魚亭 / 寂寞と晝間を鮓のなれ加減 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
卓上の鮓(すし)に目寒し觀魚亭
「卓」といふ言葉、また「觀魚亭」といふ言葉によつて、それが紫檀か何かで出來た、支那風の角ばつた、冷たい感じのする食卓であることを思はせる。その卓の上に、鮮魚の冷たい鮓が、靜かに、ひつそりと、沈默して置いてあるのである。鮓の冷たい、靜物的な感じを捉へた純感覺的な表現であり、近代詩の行き方とも共通してゐる、非常に鮮新味のある俳句である。尚ほ蕪村は、鮓に就いて特殊な鋭どい感覺を持ち、次に掲出する如く、名句を澤山作つて居る。
[やぶちゃん注:「鮓に就いて」の「鮓」は底本では「酢」。訂した。
「觀魚亭」服部南郭(天和三(一六八三)年~宝暦九(一七五九)年)一派の詩人がよく詩会を催した水亭。服部南郭は漢詩人で名は元喬、字は子遷、南郭は号。京の町家の生まれで幼少のときから和歌をたしなんだ。早く江戸に出て第五代将軍綱吉の寵臣柳沢吉保に歌人として抱えられた。正徳元(一七一一)年頃には柳沢家の儒臣荻生徂徠に入門して漢詩文に転じたが、享保三(一七一八)年に柳沢家を退いて後は終生、野にあって詩文を専らとする生涯を送った。それまで儒学の支配下にあった漢詩を文学として解放するに功績あり、またその生き方は江戸中期の知識人たちの現実を離れて芸術や趣味の世界に遊ばんとする文人気質の典型を成すものとされる。蕪村は若き日に江戸に出て来た頃、この南郭に師事したことが高井几董宛書簡などによって分かっている。]
寂寞と晝間を鮓(すし)のなれ加減
鮓は、それの醋が醗酵するまで、靜かに冷却して、暗所に慣らさねばならないのである。寂寞たる夏の白晝(まひる)。萬象の死んでる沈默(しじま)の中で、暗い臺所の一隅に、かうした鮓がならされて居るのである。その鮓は、時間の沈滯する底の方で、靜かに、冷たく、永遠の瞑想に耽つて居るのである。この句の詩境には、宇宙の恆久と不變に關して、或る感覺的な瞳(め)を持つところの、一のメタフイヂカルな凝視がある。それは鮓の素であるところの、醋の嗅覺や味覺にも關聯して居るし、またその醋が、暗所において醱酵する時の、靜かな化學的狀態とも關聯して居る。とにかく、蕪村の如き昔の詩人が、季節季節の事物に對して、かうした鋭敏な感覺を持つて居たことは、今日のイマヂズムの詩人以上で、全く驚嘆する外はない。
[やぶちゃん注:「鮓は、」及び「かうした鮓が」「その鮓は、」「それは鮓の素であるところの」の四箇所の「鮓」は底本では「酢」。訂した。]