耳嚢 巻之七 内山傳曹座頭に代詠る歌の事
内山傳曹座頭に代詠る歌の事
傳曹は寶曆明和の比(ころ)、和學に委(くは)しき迚(とて)世に稱譽なせしが、詠歌も甚だ達者にて、狂哥も面白(おもしろし)。或時座頭に代りて、
せめて目のひとつ成り共星月夜鎌くらやみをゆきの下みち
□やぶちゃん注
○前項連関:狂歌三連発。
・「代詠る」は「かはりよめる」と読む。
・「寶曆明和」西暦一七五一年から一七七二年。明和の後が安永で次が天明。
・「内山傳曹」「内山傳藏」が正しい(訳では訂した)。内山椿軒(ちんけん 享保八(一七二三)年~天明八(一七八八)年)は儒者で歌人。名は淳時(なおとき)、通称伝蔵(伝三とも)、別号椿軒、賀邸(がてい)。江戸生の幕臣とされるが役職等は未詳。和歌を坂静山に学び、堂上歌人の烏丸光胤・日野資枝にも指導を受けた。江戸の武家歌人として六歌仙の一人に数えられるなど、当時の評価は高かった。門人に大田南畝(蜀山人)・唐衣橘洲・朱楽菅江ら天明狂歌の名師を多数擁し、自らも萩原宗固とともに「明和十五番狂歌合」の判者を勤めるなどしたため、和歌よりも天明狂歌の祖として名高くなった(「朝日日本歴史人物事典」他に拠った)。
・「せめて目のひとつ成り共星月夜鎌くらやみをゆきの下みち」「星月夜」は鎌倉十井(じっせい)の一つで極楽寺坂下にある井戸の名であり、また主に謡曲などでは「鎌倉」の枕詞として用いられる。ここでは「星」に「欲し」を掛詞とし、引き出された「鎌くらやみ」(元来がこの「星月夜」は「暗(くら)」いところから同音の「倉」を連想させて「鎌倉」の枕とする)は「まくらやみ」で真っ暗闇の意を掛けてある。更に「ゆきの下みち」は鎌倉八幡宮西の地名「雪の下」を仕込んで(即ち「星月夜」「鎌倉」「雪の下」が鎌倉の縁語)、しかも「闇を行き」と「雪の下道」とが掛かるようになっている。技巧に凝ってはいるものの、歌意にひねりがある訳でもないようだし(文中にもあるように国学の造詣も深かったようであるから、上句には「目ひとつの神」辺りの民俗伝承が関わっている可能性はあるかもしれない)、特に訳すほどのものでもあるまいと思う。
■やぶちゃん現代語訳
内山傳蔵が座頭に代わって詠んだ歌の事
傳蔵は宝暦明和の頃、国学にも詳しい儒者として世に称せられたが、詠歌もはなはだ達者で御座って、狂歌もなかなかに面白いものがある。或る時のこと、座頭に代わって詠んだという歌。
せめて目のひとつ成り共星月夜鎌くらやみをゆきの下みち
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