梅遠近南すべく北すべく 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
梅遠近(をちこち)南すべく北すべく
「遠近(をちこち)」といふ語によつて、早春まだ淺く、冬の餘寒が去らない日和を聯想させる。この句でも、前の「春雨や」の句でも、すべて蕪村の特色は、表現が直截明晰であること。曲線的でなくして直線的であり、脂肪質でなくして筋骨質であることである。その爲どこか骨ばつて居り、柔らかさの陰影に缺けるけれども、これがまた長所であつて、他に比類のない印象の鮮明さと、感銘の直接さとを有して居る。思ふに蕪村は、かうした表現の骨法を漢詩から學んで居るのである。古來、日本の歌人や俳人やは、漢詩から多くの者を學んで居り、漢詩の詩想を自家に飜案化して居る人が非常に多い。しかし漢詩の本質的風格とも言ふべき、あの直截で力強い、筋骨質の氣概的表現を學んだ人は殆んど尠ない。多くの歌人や俳人やは、これを日本的趣味性に優美化し、洒脱化して居るのである。日本の文學で、比較的漢詩の本質的風格を學んだ者は、上古に萬葉集の雄健な歌があり、近世に蕪村の俳句があるのみである。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。『「春雨や」の句』は底本では『「春雨」やの』であるが誤植と断じて訂した。さて、ここで萩原朔太郎は自分のことをどう思っているのであろうか? 彼は自らを「漢詩の本質的風格を學んだ者」と自負しているのであろうか? でなければ蕪村を語るまい。しかし私は萩原朔太郎がそう胸を張って言えたのかどうか、微妙に留保したい気持ちがある。無論、私は「漢詩の本質的風格を學んだ者」だなどとは言わないことは言うまでもないから、彼が「漢詩の本質的風格を學んだ者」のであるかどうかを云々することは出来ぬことも言うまでもない。それでもこの疑義は有効であると私は信ずるものである。]