中島敦 南洋日記 十月九日
十月九日(木)
早朝より岩邊氏、島民を集め公合堂にて訓辭をなす、夏島竹島への徴發勞働者中、無斷にて逃出し、或ひは、夜、ひそかにカヌーに乘じて歸村する者など多きを戒むるなるべし。目下冬島にはハシカ流行し、その豫後、アミーバ赤痢になる者多く、徴發人夫中には一家悉く病人にて頗る同情すべき者ある由。
蓋し、各島の如き交番無き所にては公學校長が一箇の小獨裁者として島民に望臨みあるものの如し。
今日は學校の始業、六時とかにて、教員補その他による授業を觀るを得たり。本科三年のみは本教室を用ふれど、一年二年は假教室、殊に一年の如き、タコの葉にて葺きたる掘立小屋の土間にて授業をなしつゝあり。一年生「タイソウゴツコ」の朗讀。二年生は醫者と母と病兒との對話を二人づつにて行ひゐたり。ス、ズ、を發音し得ざること、東北人の如し。此の地は就學希望者年々五十人位なるも、その半數を收容し得るのみなるを以て、就學し得ざる兒童、自發的に、教科書なしにて、習ひに來るなり。
朝食後椰子水を飮み、レモンの苗を貰ひヨットに乘込む、八時半出發。十時、夏島着。風餘り多からずして、速力大ならざるも、ボンボン蒸氣の不愉快に優ること萬々。
[やぶちゃん注:二段落目、珍しく公学校長への批判的視線が垣間見え、この日録には全体に現地人への敦のかなり強い同情感が感じられる。「ボンボン」はママ(但し、底本の後半は踊り字「〱」。「萬々」は「ばんばん」で、遙かに程度が良い、の謂い。]
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