中島敦 南洋日記 十月十日
十月十日(金) 秋島
朝、堀君より、七時迄に支廳棧橋へ行くべき旨の電話あり。急いで支度を整へて行く。八時過漸くボンボン蒸氣出發、九時過秋島着。國民學校はこの四月開校せるも未だ校舍なく、公學校の教員室を用ひて授業をなしつゝあり、椰子水を飮んで後。公學校長南氏の授業を見る。一・二・三學年・一教室にての授業なり。二年生のシュウベルなる者、頗る良く出來るかに見ゆ。福山國民學校長宅にて晝食、南氏官舍にて、南・掘氏の尺八合奏を聞く。先きのシュウベルなる兒童は南氏方のボーイなり。暫く語るに、益〻愛すべき少年のなるが如し。モートロック(ローソップ)のナマ島の産。兄は今、夏島にて人夫をしつゝありと。飮炊事、その他に頗る役に立つボーイなり。夕食は再び福山氏宅にて、竹内巡査を加へ五人會食、雞の水炊、良し。福山夫人は福岡のヒトなるべし。ランプ。南氏宅への歸途、南貿店に立寄り、主人の貝類蒐集を見る。頗る美見事なり。九時就寢。
今日夜は久しぶりの晴にて、星多し、
夕方、福山氏、鯵を釣らんとて、生餌の鯖を投網を以て獲らんとすれど、不成功に終る。されど、此の島の附近には、鯵、鯖等多き由。
[やぶちゃん注:「國民學校」本土では昭和一六(一九四一)年三月一日の国民学校令公布、四月一日施行により、従来の小学校が改組されて国民学校が発足、尋常小学校を国民学校初等科(修業年限六年)とし、高等小学校を国民学校高等科(修業年限二年)とした。前に注した通り、当時占領地であった台湾でも同三月に台湾教育令が修正され、公学校・小学校・蕃人公学校を統合して国民学校が改編されているが、南洋庁では主に施設や教員配置の問題からこの改組が順調に行われていなかったことが分かる。
「モートロック(ローソップ)のナマ島」現在のミクロネシア連邦チューク州に属する、チューク・ラグーンの南東五十キロメートルから二百キロメートルにかけて広がるモートロック諸島。因みに、「太平洋諸島センター」の公式サイトの「チューク州ウエノ島」の同地区に属する「サタワン環礁 Satawan Atoll」の記載によれば、モートロック諸島の最南端にあるサタワン環礁は比較的人口の多い四島と四十五の小島からなっているが、合計面積は五平方キロメートルにも満たないとあり、約五〇〇人が生活している主島サタワン島は、ウエノ島と飛行機またはボートで結ばれている。チューク・ラグーンの島々より以前に西洋との関係が始まったと伝えられており、それだけに人々は訪問者に優しく、飛行機が着くと見知らぬ人のために出迎えたりする。サタワン島と約二百メートルの浅瀬を挟んでいるタ島には三百人が居住しており、二つの島は干潮時には繋がって一つになる。この島には数台の旧日本軍の戦車や零戦が保存されている。また、環礁の中は波が静かで素晴らしい視界をもっていることから、ダイバーたちは多くのウミガメや熱帯魚、サンゴはもちろん時にはイルカと出会える機会もある、とある。]
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