日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 10 神棚/走馬燈
人々の住宅には仏教の廟を納めた棚――カミダナ、即ち神様の棚と呼ばれる――があり、そこに小さな燈火と食物の献げ物とが置かれる。かくの如き食物は、死んだ友人のために献げられるのである。
時々町通りで何かのお祭を祝っているのに出喰わす。先頃の夜、往来は売り買いをする人々で一杯だった。正式の市なのである。私は人ごみの中を一時間も歩いて、売物に出ている色々な奇妙な品物を観察したが、その多くは手づくりで、値段は一セントの半分あるいは十分の一というような僅かなものであった。町を照らすのは、螢に似た小さな蠟燭や提灯で、極めて弱い光を出すのが関の山だった。支柱にのった棚は趣味深く塩梅してあり、常緑樹の一種の短い小枝を、二つの竹片ではさんで、小さな垣根をつくつたのも一つあった。多数の花束、小さな鉢植えの植木、可愛らしい木の小皿、いろいろな種煩の玩具、それから精巧を極めた紙製の提灯等が見られた。ある提灯は紙で円筒形をつくり、その中には上部に風車を持つ木製の心棒があり、そして蠟燭の熱が心棒を回転させる。紙をきりぬいてつくった馬に乗っている人、人力車、人々の姿が心棒からつき出たものに下っている。提灯には小さな橋や風景が描いてあるので、人や馬が回転すると、蠟燭がその影を紙の円筒に投げ、かくてこれ等の物体が橋を渡るという活動写真が出来上る。子供にとっては最も興味のある玩具だが、而も値段は僅か一セント半であった。図104はその構造の概念を示している。別の円い形をした白い紙提灯には、新しい水滴と思われるものが表面についていた。最初私は、提灯の内側に硝子(ガラス)玉か透明なゴムの数滴かをつけて、この効果を出したものと思ったが、事実は内側に三、四個、銀紙でつくった大小の小円筒をはりつけたので、蠟燭の光が紙の上に光る一点を持つ陰影をつくり出し、それがまるで丸い水玉のように見えるのであった(図105)。これ等の行商人が売っている品の殆ど全部は、子供のためにつくられたのである。いろいろな慰み事もやっていた。その一つは竹の棒を立てた上に人形が三つ立っているもので、男の子達は小さなボタンに似たものを十個買い、四フィートはなれてこれをぶつける。そして人形一つに命中すると、褒美として卵を一つ貰う。又男の子達は竹の中から小さな矢を吹き出して――他ならぬ吹き矢である――いろいろな的を射ていた。
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