たちばなの昧爽時や古館 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
たちばなの昧爽(かはたれ)時や古館(ふるやかた)
五月雨頃の、仄暗く陰濕な黄昏などに、水邊に建てられた古館があり、橘の花が侘しげに咲いてるのである。「水莖の岡の館に妹と我と寢ての朝(あさけ)の霜の降りはも」といふ古今集の歌と、どこか共通の情趣があり、沒落した情緒への侘しい追懷を感じさせる。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「夏の部」より。「昧爽(かはたれ)時」(明け方の薄明時)の「か」は「たちばなの香(か)」に掛けてある。
朔太郎の示す和歌は「古今和歌集」の「卷第二十」巻頭に「大歌所御歌」(「大歌所」は平安初期に設けられた宮中の儀式・神事の際の歌舞音曲を演ずる楽人の教習所。「大歌」はその音曲の歌詞を指し、古来より伝承されたものが残されていた)に五首並ぶものの四首目の一〇七二番歌。前書は唄の初句を採ったその歌曲の題名。
水莖(みづぐき)ぶり
水莖の岡(をか)の屋形(やかた)の妹(いも)と我(あ)れと寢ての朝けの霜のふりはも
「水ぐきの」は「水城(みづき)」「岡」の枕詞。「やかた」は粗末な仮り拵えの家。「あさけ」夜が白々と明けて来る早朝の頃を指す万葉以来の歌語。「ふりはも」「降りはも」で「降り」は名詞、「はも」の「は」「も」はともに強い詠嘆をしめす終助詞で、回想の感慨に用いられることが多い(以上の語注は岩波新古典文学大系版を一部参考にした)。]